さて、今回は曹鼎の紹介じゃな。彼はちと珍しい、曹操達の一つ上の世代に当たる人物なんじゃよ。彼がどんな人物だったのか、見ていくとしようかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹鼎の紹介じゃな。彼は曹洪の伯父に当たる人物なんじゃよ。
曹操と曹洪は同世代だから、曹鼎は一つ上の世代だと言うことなのですね。
そう言うことだな。ただそれ故、191年頃はもう既に良い歳のはずだからな。鬼籍に入っていたかもしれんな。
まあ、まだ健在だったと信じて、見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹鼎については魏志『曹洪伝』にわずかに情報が載っているようじゃな。
曹洪の伯父曹鼎は尚書令となり、曹鼎を蘄春県の長に任じた。(『曹洪伝』裴注『魏書』)
ほとんど情報はありませんが、尚書令になっているのですね?
時期的には曹丞相の父の曹嵩殿が太尉になった頃の話ではないだろうかな。
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簡単解説
尚書令になっていたことから政治が高めなのですね。
曹洪殿を県令にしたのは身内人事であったのかもしれんが、実際曹洪殿には才能があったからな。曹鼎殿に見る目が合った、と言う判断か。
まあそうは言っても実績がそれぐらいしか書かれておらんから、この程度に押さえるしかなかった訳じゃがな。さて、曹鼎に関してもここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは今日のところは帰るとするか、次もまたよろしく頼む。
張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。