今回紹介するのは曹馥じゃな。多分あまり聞かない名前じゃと思うが、彼は曹洪の息子で、彼の跡を継いだ人物だったんじゃよ。とは言え記録が少なそうじゃのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹馥の紹介じゃな。上でも書いているが、曹洪の息子じゃな。
曹洪は三国時代を代表する武将ですが、曹馥はほとんど何も聞かないですね。
まあ、曹馥殿に関しては記録もほとんど残っていないから、仕方ないだろう。
それでは実際のところ、曹馥について能力評価から見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹馥について記録に残っているのは以下の通りじゃ。
曹洪は太和六年(232年)逝去し、恭侯と諡され、子の曹馥が侯位を継いだ。(『曹洪伝』)
やはりと言うか記録はほとんどないのですね。
能力的には曹洪殿をスケールダウンさせたような感じだな。これはまあ分からんでもないな。
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簡単解説
他の作品に出ていないのは仕方ありませんね。
演義にも出ていない、記録にも残っていないからな。
遺伝子的に父の遺風はある程度受け継いでいるであろう、と言う判断からの評価じゃな。さて、それでは今日はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。