三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹徳(そうとく) 字:不明(?~193)

さて、今回は曹徳の紹介じゃな。彼は曹爽の弟らしいんじゃよ。実は曹操を盛り立てる親族は多いものの、兄弟については不明な部分も多いんじゃよ。数少ない名前の分かっている兄弟、と言うことじゃな。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹徳の紹介じゃな。彼は一応曹操の弟、と言うことになっておるんじゃよ。

?・・何か奥歯にモノが挟まったような言い方をされますね。曹操の弟で決まりじゃないんですか。

これは記事の信憑性、と言う部分に問題がありそうだな

うむ、それではその部分を中心に、史書の記述にスポットを当ててみようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹徳(20歳)  55 60 30 50
 ↓ ↓ ↓ 
 曹徳(45歳)  84 90 57 79

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

曹徳は魏志武帝紀』所に記述が見えるんじゃ。早速見ていくとしようかのう。

曹嵩(曹操の父)は泰山の華県に滞在していた。太祖(曹操)は泰山の太守応劭に命じて、兗州まで家族を送ってこさせることにした。応劭の兵がまだ華県に行きつかぬ内に、陶謙は密かに数千騎を派遣して、家族を逮捕させた。

曹嵩の家族は応劭の迎えだと思い込み、警戒をしていなかった。陶謙の兵はやってくると、太祖の弟の曹徳を門の中で殺した。(『武帝紀』裴注『世語』)

ここには名前が載っていますが、裴松之注釈の『世語』と言うのが引っかかるのですか? 

そうだな、『武帝紀』本文及び、同じ個所の記述が載っていた『呉書』には曹徳殿の名前が一切ないのも気になるところだな。 

 

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簡単解説

そう言えば、能力が曹操との対比になっているのも、少し考えているのでしょうか。

確かに曹丞相の評価で一番高い知謀が一番低く、軍事より統率が高い、知謀より政治が高い、と言うのも丞相の逆を言っているか。

まあ、実はそこに関しては本当にただの偶然だったんじゃがな。情報も少ないが曹操を一族の中でも異端とするなら、真逆なタイプ、と考えたのかもしれんのう。さて、曹徳に関してはここまでじゃな。

よし、それでは俺も帰るぞ、次もまたよろしく頼む。  

張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。