さて、今回周瑜の紹介2回目じゃな。今回どういう風に紹介するか迷ったんじゃが、一旦は陸遜との比較を行い、両者に違いについて、自分なりの考察を行おうかと思うんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は昨日紹介した周瑜の能力について、まず陸遜とはどう違うのか、と言った部分を中心に見ていこうかと思うんじゃよ。
確かに総合力は同じぐらいになるかと思うのですが、師匠の場合、両者に違う傾向がありましたよね。
周瑜の方が統率が高く、陸遜の方が知謀が高い、と言うことだな。
うむ、それではさっそく両者の比較と、そう評価するに至った経緯を見ていくとしようかのう。
人物紹介
周瑜と陸遜の能力値
さて、まずは両者が一番脂がのった時期40歳前後(と言っても周瑜は36歳で亡くなってしまう訳だが)での評価がどの程度か、比較して見てみるとしようかのう。
軍事 | 統率 | 知謀 | 政治 | Total | |
---|---|---|---|---|---|
周瑜 | 134 | 183 | 145 | 106 | 568 |
陸遜 | 134 | 139 | 178 | 117 | 568 |
総合値は全くの同値ですね。軍事は互角、統率は周瑜が上で、知謀は陸遜の方が高い。政治は・・・少しだけ陸遜の方が上ですね。
政治に関しては陸遜が晩年丞相になり、呉蜀間の折衝も行っていた点を鑑みての事だろう。
周瑜はあくまでも軍人であることを考慮すると政治は少し高すぎるのかもしれないな。それでは特に差がついている統率と知謀の比較を行っていこうか。
よろしくお願いします。
統率
まずは統率からだ。周瑜と陸遜の一番大きな違いは、人望の高さであろうな。
またえらくざっくりと言いきりましたね。ですが、その人望の高さを具体的に示す話はないのですか?
それは両者を代表する「赤壁の戦い」と「夷陵の戦い」に集約されているな。
赤壁の際、周瑜は程普と共に都督となり諸軍の指揮を執っているが、彼について配下からの不平不満の声はほとんど挙がっていない。
一方、夷陵の際の陸遜は色んな不満があちこちから上がっており、部下の掌握になかなか苦労している節がみられる。
確かに夷陵の戦いでは、陸遜の意見と配下武将の意見が食い違う、と言う場面がありました。
結果として陸遜の意見が正しいからよかったものの、判断を誤ると結構危ない場面でしたよね。
これは陸家と周家の家格の違いも関係ありそうだな。陸家は江南では名家として扱われているがあくまでも地方限定、周家は三公を2代続けて出すなど全国区の名家。
この差は大きい。更に次の要素も関係あったと思うのだ。
知謀
あれ、結論を出さないまま、知謀の方へ移るのですか?
慌てるな。この件は知謀とも深い関連性がある。
すでに紹介している陸遜は、例えば夷陵の戦いもそうだが、襄陽を攻めた時も、うまく策を講じて、相手の攻め気を削いだタイミングで脱出している。
あの脱出策は見事でしたよね。
そう、見事な手腕だ。だがあの秘策の数々が逆に諸将を遠ざけていると思うのだ。
と言いますと?
謀略家はその謀略を秘匿し、なかなか他人に心の内を明かさない。
その分、相手からは何を考えているのかわからない、と思われ敬遠されがちだ。
それは敵だけでなく、味方からもな。
なるほど、確かに陸遜はそう言った傾向があるかもしれませんね。それでは逆に周瑜の知謀が陸遜ほどではない理由は何でしょうか?
これは単純に知略面での実績が少ないからだ。
更に赤壁後の曹仁との攻防でも策を出すのは呂蒙であったり、周瑜自身が何か策略をひねり出す、と言う場面はほとんどないのだ。
逆に曹仁との戦いでは負傷した身をおして戦陣に立ち、見方を鼓舞して士気をあげるなど、なかなかの武闘派でもあったりするな。
なるほど、演義のイメージに捉われるとどうしても諸葛亮のライバル、と言う感じで知謀の高さに興味が言ってしまいますが、そう言うタイプの人物ではそもそもない、と言うことですね。
そう言うことだ、例として挙げるなら、お主が以前読んでいた銀河英雄伝説と言う小説があったであろう。あの主人公二人の対比としてみると分かりやすいかもしれないな。
銀英伝の主人公二人・・・ヤン・ウェンリーとラインハルトですか。つまりヤンが陸遜タイプでラインハルトが周瑜タイプ、と言う感じですか?
もちろん細かい立場や状況の違いはあるが、人物像として、指示が明朗で分かりやすく実績も上げ、周囲を心服させていく周瑜。
才知は買われるもどこか油断ならない奴、と警戒され、自身も別にそれを気にするでもなく、自身の信じる道をひた走る陸遜。
確かにこうやって比較すると特徴をうまく捉えているかもしれんのう。違うとすれば政治力じゃな。ラインハルトは政治力も凄く、最終的には皇帝に昇り詰めているが、周瑜は孫権の一臣下に徹しておったからのう。
次回以降は裏付けとして、実際の周瑜の戦いぶり、そして周囲の周瑜に対する評価などを順番に見ていこと思うんじゃよ。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい