さて、今回は曹儼の紹介じゃな。彼は曹丕の息子の一人であるようじゃな。曹丕の息子は9人いるようじゃが、その内の一人っということじゃろう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹儼の紹介じゃ。彼は曹丕の息子の一人じゃな。
どうも張郃だ。文帝の息子は曹丞相ほど子はいなかった。また丞相の子達に比べると、小粒な子供が多いな。
曹儼は聞いたことのない人物ですね。曹叡ぐらいじゃないでしょうか?
まあ、文帝が早くして亡くなった影響が大きかったな、恐らく220年当時ではまだどの子も成人していなかったのではなかろうか。
確かに曹操の息子は曹植や曹彰、曹沖と天才肌の人物が多数いるのに対し、曹丕の息子はこれと言った人物はあまり聞かないのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『広平哀王儼伝』に次のように書かれているのみなんじゃ。
広平の哀王曹儼は黄初三年(222年)に取り立てられ、四年(223年)に逝去した。子はなく、国は没収された。
恐らく最年長の明帝(曹叡)が223年時点でもまだ20歳前後な訳だから、曹儼殿はそれよりも若かったのであろうな。
こうやって見ると、成人の前に亡くなっている可能性が高そうですね。
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簡単解説
曹叡以外で有名な子は誰かいるでしょうか?
孫の曹髦殿が皇帝になったことぐらいだな。他にこれと言った逸話はないのではなかろうか。
そうじゃな。まあ、全員の情報をきちんと見ているわけではないので、順々に見ていくしかないのう。さて、それでは今回はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。