三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹儼(そうげん) 字:不明(?~223)

さて、今回は曹儼の紹介じゃな。彼は曹丕の息子の一人であるようじゃな。曹丕の息子は9人いるようじゃが、その内の一人っということじゃろう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹儼の紹介じゃ。彼は曹丕の息子の一人じゃな。

どうも張郃だ。文帝の息子は曹丞相ほど子はいなかった。また丞相の子達に比べると、小粒な子供が多いな 

曹儼は聞いたことのない人物ですね。曹叡ぐらいじゃないでしょうか?

まあ、文帝が早くして亡くなった影響が大きかったな、恐らく220年当時ではまだどの子も成人していなかったのではなかろうか 

確かに曹操の息子は曹植曹彰、曹沖と天才肌の人物が多数いるのに対し、曹丕の息子はこれと言った人物はあまり聞かないのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹儼(20歳)  30 40 45 35
 ↓ ↓ ↓ 
 曹儼(45歳)  57 68 73 62

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志『広平哀王儼伝』に次のように書かれているのみなんじゃ。

広平の哀王曹儼は黄初三年(222年)に取り立てられ、四年(223年)に逝去した。子はなく、国は没収された

恐らく最年長の明帝(曹叡)が223年時点でもまだ20歳前後な訳だから、曹儼殿はそれよりも若かったのであろうな。 

こうやって見ると、成人の前に亡くなっている可能性が高そうですね。

 

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簡単解説

曹叡以外で有名な子は誰かいるでしょうか?

孫の曹髦殿が皇帝になったことぐらいだな。他にこれと言った逸話はないのではなかろうか。  

そうじゃな。まあ、全員の情報をきちんと見ているわけではないので、順々に見ていくしかないのう。さて、それでは今回はここまでじゃな

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。