さて、今回紹介する人物は孫煕じゃな。彼は孫静の孫、孫瑜の息子の一人、と言うことなんじゃよ。彼の記録はまた少なそうじゃが、どんなもんかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は孫煕の紹介じゃな。孫煕は孫瑜の息子で、孫瑜自身は孫静の息子、と言う繋がりじゃな。
孫瑜は記憶があります。ですがさすがに孫煕は聞いたことない人物ですねぇ。
史書を見てもほとんど記録がなさそうな人物だからな、仕方あるまい。
しかもこの孫煕と言う人物、どうも二人おったようじゃから、余計分かり難そうじゃな。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
さて孫煕じゃが、彼についても孫静の個所に記述が見えるようじゃ。
孫瑜は年三十九で、建安二十年(215年)に死去した。孫瑜には五人の息子がおり、孫煕はその内の一人(恐らく次男)である。(『孫静伝』)
これは確かに記述少ないですね。評価もしようがないですね。
一応五人の息子の内、一人は将軍になっているらしい。五人の中ではその一人が少し抜けて優れており、他の五人はそこまでではない、と言うことではないかな。
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簡単解説
将軍になった一人と言うのは、孫煕ではないと言うことですよね。
別の人物だな。それによって孫煕は抑えめの評価にしているのであろう。
記録がない以上は仕方ないからのう。さて孫煕についての紹介はここまでじゃな。
よし、それでは自分も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。