三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫咨(そんし) 字:不明(?~256)

さて、今回紹介する人物は孫咨じゃな。彼は孫皎の息子の一人で孫胤や孫晞の弟、孫儀の兄にあたる人物じゃ。孫儀は孫峻によって誅殺されてしまうが、孫咨もまた悲しい最期を迎えたようじゃなあ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫咨の紹介じゃな。彼も呉の皇室の一人だが、彼は孫綝と滕胤との権力争いに巻き込まれる形で殺害されてしまうんじゃよ。。

滕胤は確か演義にも出ていましたから、印象に残っていますね。

演義では諸葛恪と仲が悪く、孫峻よりの立場であったな。だが、孫綝とは折り合いが悪かったようだな。

その辺りの両者の争いに孫咨も巻き込まれた、と言うことじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫咨(20歳)  70 80 50 55
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 孫咨(45歳)  101 112 79 84

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

孫咨は将軍として期待されていた人物であったようなんじゃな。

(孫胤・孫晞の)弟の孫咨は将軍となり、候に封ぜられた。孫咨は羽林の督となったのである。孫咨は滕胤に殺された(『孫静伝』)

(呂拠が孫綝を廃そうと計画し、滕胤と連絡を取っていることを聞くと)孫綝は従兄の孫慮(孫憲)を遣って、兵を率いて江都において呂拠を迎え撃たせた。

同時に宮中からの使者を送って、文欽・劉纂・唐咨らに兵を一つに合わせて呂拠を攻撃するように命令し、また侍中・左将軍の華融と中書丞の丁晏とを派遣して、滕胤に呂拠を捕縛するのだと告げ、同時に滕胤にはすみやかに任地の武昌に向かうようにとの意向を伝えた。

滕胤は自分に災禍が及ぼうとしていると考え、そのまま華融と丁晏とを軟禁すると、兵士たちをまとめて守りを固めさせた。また典軍の楊崇と将軍の孫咨とを呼び寄せると、孫綝が反乱を起こしたと告げ、華融たちに強制して、孫綝のやり方に反対させる手紙を書かせた。

孫綝はその手紙を無視すると、上表して滕胤が謀反を起こしたと述べ、将軍の劉丞に爵位を約束し、歩兵と騎兵を率いて滕胤を激しく攻め立て方位を固めさせた。

滕胤は再び華融らをおどし、偽の詔を書かせて軍を動員しようとした。華融たちが言うことを聴かぬと、滕胤は彼らを皆殺しにした(孫咨もその時に巻き込まれ殺害された)。(『孫綝伝』)

これは完全にとばっちりを受けたパターンですね?

孫儀は自ら災禍を招いた形であったが、孫咨の事例は少々気の毒であるな。

事績はほとんどありませんが、将軍、督であったことから軍事と統率を高めとしたのですね。

  

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簡単解説

それにしても孫一族の扱いが、例えば魏の後続に比べると軽いように感じますね。

魏の場合は曹氏の親族で方面軍司令官になってる人物が多い。呉はその部分を江東の有力豪族が担っているからな。政権の構造の違いがこのような違いを生じているのであろう。  

荊州都督も周瑜から陸抗まで、基本はずっと豪族たちによって運用されていたわけじゃからなあ。

孫峻はともかく、孫綝なんかも元々低い立場であったからのう。反発が大きいのも当たり前と言えば当たり前なんじゃな。

さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。