三国志に釣られクマー

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公孫瓚勢力(まとめ)

勢力概要

さて、今日は公孫瓚勢力をまとめるぞい。

まずは公孫度が勢力を張っていた地域じゃが、幽州から、冀州青州にまで広がっておる。一応兗州にも手を広げておるようじゃが、これはすぐに曹操に撃退されたのであろう。まずは中国大陸の地図を載せるぞい。先に述べた州の位置関係を見てくれい。 

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中国大陸(州区分)

更に幽州周辺の拡大地図を載せるぞい。

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主な公孫瓚の支配領域(赤字部分)

赤字の各郡の簡単な説明ぢゃ

北平

異民族と戦っておった頃駐屯しておったのが北平じゃな。この辺りから公孫瓚の飛躍が始まっておると考えられるぞい。

漁陽

劉虞を倒した後、閻柔たちの手によって反攻作戦が始まった地じゃな。ここの太守じゃった鄒丹は閻柔達の軍に敗れ、斬り殺されておる。

勃海

公孫瓚の威勢を恐れた袁紹はここの印綬を公孫範に与えておる。そしてここの郡の兵を吸収した公孫範はさらに南下し、青州まで進出しておるんじゃな。

平原

袁紹と争いだしたころ、公孫瓚は単経が駐屯したのがこの地じゃな。また後には劉備がここの相となり、袁紹曹操勢力に対して睨みを利かせることになっておる。

済南

最初劉備公孫瓚の支持で済南の高唐に駐屯しておる。済南と平原の間は黄河が流れており、高唐は平原の対岸に位置しておるのかの。結局劉備は敗れ、一旦公孫瓚の下に退却しておる。

清河・鉅鹿

この二つの郡の境界には清河と言う河川が流れており、そこを渡るための橋が界橋、と言うことになる。この二つの郡の間で公孫瓚袁紹は激突した、と言うことじゃな。

 

およその位置関係は以上の通りじゃ、袁紹公孫瓚は当初、ちょうど冀州を東西に二分しての争いじゃった訳じゃな。さて次は武将データのまとめじゃ、公孫瓚勢力の情報を載せるぞい。

能力一覧表

 公孫瓚勢力 

   軍事   統率   知謀   政治 
 公孫瓚 

(145)

183

(95)

128

(40)

68

(55)

84

 公孫越 

(75)

106

(55)

84

(30)

57

(35)

62

 公孫範 

(115)

150

(85)

117

(50)

79

(35)

62

王門

(60)

90

(40)

68

(65)

95

(25)

51

楽何当

(45)

73

(30)

57

(65)

95

(95)

128

関靖

(75)

106

(55)

84

(30)

57

(80)

112

 厳綱 

(85)

117

(45)

73

(40)

68

(50)

79

 鄒丹 

(40)

68

(25)

51

(50)

79

(60)

90

 単経 

(105)

139

(80)

112

(45)

73

(60)

90

 田楷 

(80)

112

(95)

128

(35)

62

(70)

101

 文則 

(65)

95

(30)

57

(55)

84

(40)

68

 李移子 

(55)

84

(50)

79

(80)

112

(85)

117

 劉緯台 

(25)

51

(30)

57

(105)

139

(80)

112

 

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説明ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、公孫瓚勢力のまとめじゃな。こうやって武将を並べると、改めて知謀の高い武将が少ないのう。ノウキンぞろいぢゃ。

ですが政治だけを見ると案外揃ってる感じですね。それだけに余計に知謀の低さが目立っていますが。

そうじゃのう、軍団として考えると公孫瓚と公孫範にそれぞれ兵を集中させ、李移子と劉緯台を副将として知謀の補強を行ってやるのが良いじゃろうな。

公孫瓚ぐらいの軍事能力の高さからすれば、失敗のリスクのある奇襲攻撃より、正面から叩き潰す戦い方でも十分じゃろう。

こちらの強きを以って、相手の弱きを攻める、と言うことですね。それにしても一時期公孫瓚が伸張した範囲を見ると、界橋前の袁紹って結構危険だった感じがしますね。

そうじゃな、余り今まで意識しておらんかったが、界橋前では明らかに公孫瓚が優勢じゃなかろうか。更に言うなら徐州の陶謙、そして南方の袁術との繋がりによって、袁紹曹操って包囲されておるような感じになっておるのう。袁紹曹操両者とも良く盛り返したもんじゃな。

本当にそうですね。そう考えると界橋の戦いで勝利し、青州、徐州との繋がりを断ち切ったのはとても大きかったんですね。包囲網を敷いた袁術って人も結構優秀そうですね。

うむ、袁術はいつか紹介するぞい。世間の評価はそうでもないが、やはりそれなりの傑物じゃったとワシは思っておる。

しかし公孫瓚は惜しかったのう。まあ界橋の戦いでは相手の優秀な武将の情報が無いため、その部隊と戦い公孫瓚は敗北しておるが、今の我らはその武将が優秀で正面から戦うのが危険な相手と言うことが分かっておる。

情報戦で圧倒的なアドバンテージが得られるのが、ゲームの良いところじゃな。負けても命を取られる訳ではないし、良い時代と言えば良い時代じゃな。

公孫瓚は強みと弱いがはっきりしている分、軍の編成と戦い方はシンプルで分かり易そうですね。

そうじゃな、やることがはっきりしておるし、政治の得意な武将と軍事の得意な武将がはっきりしておる分、やることは迷わずに済む、ある意味初心者向けの勢力と言えるかもしれんのう。

さて、勢力説明はこれぐらいかのう。今日は戦い方とかの説明がない分短く終わったぞい。それでは次はまた新たな勢力じゃ。ではまたのう。

また見てくださいね、それでは!