三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

田楷(でんかい) 字:不明(?~?)

さて、今回も公孫瓚配下の武将、田楷じゃ。字や生没年は不明。彼もまた劉備とは縁のある武将じゃな。

その辺りを順を追って説明していくぞい。

人物紹介

 田楷は公孫瓚袁紹が争うようになってから青州に送り込まれて現地の統治を行っておった。この地は青州黄巾賊がおり、また孔子の子孫の孔融、そして後に袁紹の息子である袁譚が送り込まれて乱戦状態になっておる。

冀州では早々に界橋の戦いによって公孫瓚勢力は駆逐されておるが、青州はそれよりももうしばらく混沌としておったように思うの。

と言うのも劉備は高唐から公孫瓚の下に逃げた後、平原の相となっている。その後孔融の救援要請があり青州へ、そして193年秋に袁術派であった陶謙曹操に攻められたことで、同じ袁術派であった公孫瓚配下の劉備、田楷が陶謙の救援に赴いておる。

界橋の戦いは192年と見られているので、1年以上後の時点でもまだ田楷は青州を維持しておったことになるんじゃ。

恐らく劉備と共に袁紹陣営の侵攻を食い止めておったのじゃとは思うが、なかなかの器量じゃのう。劉備が徐州に残り、別れて後のことは不明じゃが、恐らくは袁譚からの攻撃を受け、敗北したんじゃと思うぞい。そこで能力評価じゃ。今回は3作品共に出演しておるぞい。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 田楷(20歳)  80 95 35 70
 ↓ ↓ ↓   ↓↓  ↓↓  ↓  ↓↓
 田楷(45歳)  112 128 62 101

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彼は青州で粘っておったから、統治者として統率と政治を高めにしておるぞい。軍事ももちろん必要なので、こちらも一流クラスの評価じゃな。知謀はまあ、公孫瓚軍じゃからな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 田楷  68 65 57 60 63

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 田楷  7 8 1 2 3 7

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 田楷  10 9 7 8 14

   

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回の田楷じゃが、奇しくも?ちょっと似た評価になっておるのう。いずれも一番低いのは知謀じゃ。それと鄭問三國志以外で統率、采配能力が一番高い。鄭問三國志も二番手じゃ。

確かに数値の上下に違いはあるでしょうけど、傾向はちょっと似てる気がしますね。

こう言うのを見ると、いくら私評とは言え、独りよがりの評価でも無いかのうと思えて、ちょっとほっとするぞい。

ただ、知謀が低いのは田楷も変わらず、ですね。

これはもう仕方あるまい、公孫瓚軍全体のイメージがノウキン軍団にわしの頭の中も染まっておるわい。ただ、隠し玉は一人いるにはいるんじゃ。まあ最後の紹介になるがな、ほっほっほ。

と言うことは一人ぐらいはまともな知謀の人がいるんですね。とは言っても一人じゃ少ないですよね。

まあそうじゃな。知謀が高い人物は居れば居るほど役に立つのは間違いあるまい。それをいかに確保できるか。史実の公孫瓚はそう言う人物を遠ざけておったようじゃが、わしらは優秀ならどんどんゲームとかでは使っていけば良いからの。ただ公孫瓚が何を思ってそんなことをやっておったのか・・・これが良く分からん。

確かに賢者を遠ざけるのって、行動としては不思議ですね。

うむ、理由も書いてあるんじゃが、結局それは自分を敬わないから?では納得がいかんのじゃよな。この辺り人間心理は難しいわい。さて、今回はここまでじゃの。次もまたよろしくなのじゃ。

また見てくださいね、それでは!