さて、今回から黄巾関係の集団じゃな。まずは張燕じゃ。
張燕は常山郡真定県の人なんじゃ。元々彼の姓は褚と言ったんじゃよ。
張燕は人並み外れて剽悍敏捷だったので、軍中では飛燕と呼ばれておったそうじゃ。なぜ彼が褚姓から張姓になったのか、気になる所じゃな。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は褚燕もとい張燕じゃな。
何か名前の響きがカッコイイですね。敏捷で剽悍で飛燕と呼ばれていた、と聞くと、『北斗の拳』のあの人を思い出しますね。
うむ、お主若いのに渋いところを突いてくるのう。まさか年齢を詐称しておるんではないのか(じろり)?
何言ってるんですか、師匠の持ってる単行本を借りて読ませてもらってたじゃないですか。もう忘れたんですか?
お、おお、そうじゃっ・・いやいや、もちろん覚えておるぞい。軽い冗談じゃよ、ほっほっほ。
(いや、師匠・・・絶対忘れてましたよね。)
いや、忘れてはおらんぞ、多分・・・
師匠、人の心読まないでくださいねw
まあ張燕がレイのようにイケメンじゃったかは分からんが、なかなか興味深い人物であることは確かじゃな。それでは人物紹介といくぞい。
人物紹介
褚燕から張燕へ
黄巾賊が蜂起した時、張燕は若者を集めて盗賊団を結成し、山沢地帯を根城としてあちこちを攻め荒らし、気が付くと1万以上の勢力となっておったんじゃ。
博陵の張牛角もまた仲間を集めて兵をあげており、この軍と張燕軍は合流したんじゃ。頭目には張牛角が選ばれたようじゃの。
しかし鉅麓の癭陶と言う地を攻めた時に張牛角は矢に当たり、その傷が元で死亡してしまうんじゃよ。張牛角はいまわのきわに「必ず褚燕を頭目にするように」と言ったので、褚燕は姓を「褚」から「張」へと改め、張牛角の後を継いだんじゃよ。
勢力を拡大するも突然の帰順
その後人数が増え、常山国、趙郡、中山国(いずれも冀州)、上党郡(并州)、河内郡(司州)の諸山谷の賊徒とよしみを結び、孫軽や王当と言った小頭目は手勢を引き連れて、張燕に従っていったんじゃよ。彼等は黒山賊と呼ばれ恐れられたんじゃ。
こうして軍勢は100万にも達したと言うんじゃが、さすがにこれは大げさに言っておると思うのう。本当に100万もの軍勢がおったとすると、その軍勢を養うには1000万以上の人民が必要であり、これは後漢末から三国時代にかけての全人口よりも多い数となる。彼らの活動範囲を考慮すると、実体はこの全地域併せても10万程度が精々ではなかろうか。
ただそれでも簡単に征伐できない勢力であったことは確かで、河北の各地は大きな被害を受けたらしいのう。
じゃが張燕はこのまま、いつまでも賊徒ではいかんと思ったのか、都に使いを送り、降伏を願い出たんじゃ。これにより平難中郎将と言う官位を授与されたんじゃよ。張燕が降伏を願い出た真意は不明じゃな。じゃが、後の行動を考えると、時勢を見る目があったのかもしれんのう。
群雄との交わり、そして曹操の下へ
この後董卓の横暴により、各地に義兵が逢紀すると、張燕は彼等と手を結ぶようになったんじゃよ。
袁紹と公孫瓚が冀州をめぐって争った時、張燕は将軍の杜長を派遣し公孫瓚に味方して、袁紹と交戦したが、袁紹に打ち破られ、軍勢はだんだん離散していったんじゃ。
この頃長安での戦いに敗れ、流浪していた呂布が袁紹の下を訪れたんじゃ。そして袁紹の要請を受けて張燕を攻めたんじゃよ。この時張燕の下には1万余の精鋭兵と数千の騎兵がおったんじゃ。しかし呂布は赤兎馬に乗り、側近の成廉、魏越らと一緒に何度も敵陣に突進し、ついに張燕の軍を打ち破ったんじゃよ。張燕もかなり強いはずじゃが、呂布恐るべしじゃのう。
公孫瓚が袁紹に包囲されておる時に、公孫瓚は息子の公孫続に、張燕に頭を打ち付ける勢いで救援を頼むように要請したんじゃよ。しかしこれは書簡が袁紹陣営の手に落ち、結局公孫瓚は滅びてしまうんじゃよ。
味方の公孫瓚も滅ぼされ、袁一族に攻められ軍勢を減らしていた張燕は205年四月に使者を曹操に派遣し。軍勢10余万を率いて降伏したんじゃ。
張燕は平北将軍に任命され、鄴に赴いた時に安国亭侯に取り立てられ、五百戸を領有したんじゃよ。そして張燕が亡くなった後は子の張方が後を継いだと書かれておるの。
さて、それでは能力評価じゃな。今回は3作品とも出演しておるぞい。
能力評価
張燕は剽悍で敏捷、また黄巾賊の頭目として、後漢王朝も簡単に手を出せないほどに勢力を伸ばした実力から軍事面は高めじゃ。また後漢への降伏そして曹操への帰順など、政治面の眼力もそれなりにあったと判断し、政治も少し高めじゃ。
実戦では呂布との戦いで打ち破られ、また袁紹にもじわじわ攻められては兵を減らしておったことから、打たれ強くはないと考え、統率はやや抑えめじゃな。知謀も見るべき実績がないので、こちらも抑えめじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、今回は張燕の能力評価じゃな。
今回は師匠だけちょっと特殊ですかね。他の作品は知力が政治より高いですが、師匠は政治の方が高いですね。
うむ、普通で考えると各地を荒らしまわる賊に政治的見地なぞ普通は皆無、と判断してもおかしくないからのう。
じゃがワシは後漢に降伏したり、曹操に帰順したりと案外周りをよく見て考えておるな、と思ったのでちょっと評価を変えたんじゃよ。
確かに行動が普通の山賊とかとはちょっと違う感じですね。
後、こんなとこで呂布の名前が出てくるとは思いませんでした。そして出てきたと思ったら想像通りの強さ、呂布って史実でも強いんですね。
そうじゃな。曹操には最終的にやられるが、ハマった時の強さはハンパではないぞい。呂布の強さと脆さもいずれ彼の紹介の時に説明しようかの。
そう言えば、天舞さんは結構辛目の評価ですね。半分より上である9以上の値が一つもありません。
そうじゃなあ、呂布にやられた点、袁紹に追い込まれた点から采配はあんなもんかもしれんが、武勇が少し低い気がするのう。それだけ上位に空きが無かったと言うことかもしれんの。
なかなか熾烈な数字の奪い合いなんですね。
そうじゃな、人数がもう少し多ければ能力ももう少し上がったと思うんじゃが。全体の中でのバランスを取った結果じゃろうな。
さて、今回はここまでじゃな。黒山賊は基本彼一人に頼った勢力のようになっておるんじゃ。他で名前が挙がっておる賊徒にはあまり実績がないからのう。しばらくはそんな人物が続くぞい。
しばらく黄巾残党のマイナー武将が続くと言うことですね、それでも良ければまた見てください。