三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

麹義(きくぎ) 字:不明(?~?)

さて、今回は麹義と言う武将じゃな。字と生没年は不明じゃな。 

知る人ぞ知る、袁紹初期に輝きを放った武将と言えるかのう。彼のことを語っていくとしようかのう。 

人物紹介

さて、麹義についてじゃが、彼は長らく涼州にいて、羌族の戦法に習熟しておったんじゃ。彼の武名が初めて上がったのは、反董卓連合の時じゃな。

袁紹が河内に来た時に、張楊と言う人物が合流してきたんじゃ。そこに匈奴単于於夫羅も加わったんじゃが、そこで単于は反逆を図ったんじゃな。それに対し袁紹張楊は同調しなかった、とのことなんじゃ。何に対する反逆なのかがもう一つ分からんのう。董卓の方に降伏すると言うことじゃろうか。

すると単于張楊を捕らえて連れ去ったために袁紹麹義に命じて追撃させた、とあるんじゃ。麹義は鄴の南でこれを打ち破った、とあるぞい。

さらっと書いておるが、匈奴の軍をさっくり打ち破るとか結構ヤバい奴じゃのう。

その後、袁紹公孫瓚界橋の戦いが来るんじゃな。

「英雄記」によると、公孫瓚の歩兵三万余が方陣を作り、騎兵が左右に各々五千騎余り展開しておったそうじゃ。

一方の袁紹は本陣を後ろに下げて、麹義800の兵を先鋒とし、1千の弩隊がその両側から続いた、とあるんじゃ。ちょっとゲームの布陣ではなくなるんじゃが、いつもの布陣図で言うと下のような感じじゃな。左側が公孫瓚、右側が袁紹じゃ。

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界橋の戦い布陣図(大雑把w)
豆知識

方陣とは公孫瓚側の歩兵のようなものがベースになるんじゃよ。これは四角形で四方向に対応できるようになっておるんじゃ。「李衛公問対」では確か李靖は諸葛亮の八陣図を方陣です、と応えておったので、八方向に対応した方陣八角形)と言う認識だったようじゃな。ただ、近年孫臏兵法が発見され、そこで八陣図(八種類の陣形)が記されていることが確認された、とのことじゃ。

この孫臏兵法は長いこと失われていた書物だったようで、つまり李靖や馬隆、他の後世の武将達も諸葛亮の八陣図に対して、間違った認識をしておった可能性がある、と言うことじゃな。色々と面白い話じゃのう。

 

さて、公孫瓚麹義の布陣と兵数の少なさを見て、簡単に踏みつぶせる、と判断し、下のように白馬義従を先陣に繰り出すんじゃよ。

それに対して麹義は、騎馬が接近するまで盾を上にじっと伏せていたんじゃ。そして最接近したところで鬨の声と共に、一気に盾を大きく持ち上げるように兵士たちは立ち上がり、馬を驚かせて敵軍が混乱するところ、弩隊を用いて大いに攻撃し、一気に敵を潰走させたんじゃ。

カウンター攻撃を繰り出したような感じじゃな。

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その勢いで麹義は本陣も攻撃し、そちらも敗走させているんじゃ。

馬は非常に憶病な動物で、競走馬の中には自分の陰にすらおびえるような馬もいるようなんじゃ。

さすがに羌族の戦法に習熟していた、と言うだけあって対騎馬戦の戦い方はお手の物、と言うことじゃな。

更にこの時袁紹公孫瓚の残党がたまたま近くにおり、彼等に迫られておったんじゃ。袁紹は自ら体を張ってこれに耐え凌いでいる間に、麹義も戻ってきて彼らをも蹴散らしたんぢゃ。八面六臂の活躍じゃな。

もしかしたら麹義はこの時期一番強い武将であったかもしれん。それぐらいの評価になってもおかしくない活躍をしておるんじゃ。

そして公孫瓚は負け続け、遂に易京に立てこもるんじゃ。「後漢書」によると一年余り麹義は包囲したが落とせず、兵糧が切れて退却したところで攻められ敗走した、とあるんじゃ。まあ城攻めは平地での戦いとはまた違ったスキルや兵器が必要だからの。

攻める方が圧倒的に不利で、時間のかかる話なんじゃ。

ただ、この前後から麹義は功績を鼻にかけ、傲慢になっていき、結果として袁紹に殺害されてしまった、と言うんじゃな。惜しい男を失った、と言えるじゃろうな。

さて、と言ったところで能力評価じゃな、上の戦闘での功績とかを考えると、なかなか評価高くなるのではなかろうか。今回は3作品とも出演しておるぞい。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 麹義(20歳)  105 135 85 25
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓↓ ↓↓
 麹義(45歳)  139 172 117 51

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当時異民族を震え上がらせておった白馬義従を撃退し、その後も何度も公孫瓚軍を破っていることから、軍事と統率、特に界橋の戦いの結果より統率を高く評価しておるぞい。

対騎馬戦術に習熟していることから知謀も高めじゃ。ただ、後年傲慢になり好き勝手な行動をするようになった、と言うことから政治を低めにしたんじゃ。まあ軍人としてはそこまで必要ではないからの。麹義は彼一人で十分敵と戦える、非常に優秀な武将じゃな。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 麹義  82 78 50 19 27

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 麹義  11 10 3 2 1 7

 

鄭問三國志(Max.30)
   武勇   統率   知謀   政治   健康 
 麹義  13 11 6 2 16

 

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雑談ぢゃ

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は麹義じゃな。知る人ぞ知る、有名武将じゃな。

麹義は師匠以外はそこまででもありませんね。天舞は顔良とほぼ同じですが、他の二つは顔良よりも低めですね。

そうじゃなあ、これは界橋の戦いをどれだけ評価するかじゃな。

例えば曹操呂布と始めて戦った時に、呂布の騎馬隊にコテンコテンにやられておる 。そして曹操呂布を倒すために対騎馬戦術を練り上げた、と言うんじゃ。

もし曹操の下に麹義がおったら、呂布は一度も勝つことができんかったかもしれんのじゃよ。

呂布ってよく最強って言われる人物でしたよね。それをもし完膚無きまで倒せるとしたら凄いですよね。

そうじゃ、やり方を知っていたとしても、迫りくる騎馬の前に伏せてじっと待っていないとイカン。誰か逃げ腰になれば一気に軍は瓦解する。

私だと迫りくる馬のひづめの音を聞いてるだけで、気が遠くなりそうです・・・。

ほっほっほ、ワシじゃと逃げようとして麹義に斬られるかもしれんのう。

じゃが、そう言う一種の狂気に近い戦い方を、平然とできるところが、麹義および彼率いる軍の強さじゃろうな。

ワシはこういう具体的な戦術実績を残しておる武将は、もうちょっと評価してやっても良いと思うんじゃよ。この辺りがワシ評価が高くなってる理由じゃな。

今のところ軍事面(軍事・統率・知能)では麹義が一番高評価ですかね。

そうじゃな。これだけ統率が高い武将もめったにおらんからのう。袁紹のように処刑してはいかんぞい。

さて、今回はここまでじゃな、次回もまたよろしくの。

次もまた見てくださいね、それではまた!