さて、次は鮑信の弟の鮑韜じゃ。
字や生年は不明じゃが没年は190年と分かっておる。彼に関しても記録は少なそうじゃのう。
さて、今回は鮑韜じゃな。彼は鮑信の弟じゃな。
彼も曹操のために力を尽くした人物ですよね。演義では少し不遇な扱いでしたね。
うむ、まあ演義故に仕方ないかのう。さて、それでは彼について紹介するとしようかのう。
人物紹介
鮑韜の名前が出てくるのは董卓が朝廷を牛耳った頃じゃな。
『魏書』によると鮑信が郷里に帰って兵を2万以上募集した時に、恐らく彼もそれに協力しておったんじゃなかろうか。
そして曹操、鮑信が旗揚げする時に鮑韜もそれに付き従うんじゃよ。
曹操は袁紹と共に、鮑信を行破慮将軍に、鮑韜を裨将軍に任命するよう上奏するんじゃ。すでに何度か書いておるが行破慮将軍の「行」は代行などの意味を持っておる。また鮑韜の裨将軍と言うのは副将の意味であり、1600人を率いる軍の将と言うことになるんじゃよ(正式な将は一軍3200人を率いる)。
そして先端を開こうとしなかった諸将に業を煮やし、曹操、鮑信、鮑韜は董卓軍に攻撃を仕掛けるんじゃ。じゃがこれは敗北に終わる。曹操は何とか戦場を離脱し退却するんじゃ。また兄の鮑信も怪我をしながら何とか戦場の離脱に成功する。
じゃが鮑韜は脱出できずに戦陣にて亡くなっておる。恐らくじゃが、殿を務めて敵の追撃を食い止めた上での戦死だったのではなかろうか。
曹操達の奮戦を受けて董卓の将徐栄は追撃をあきらめることとなるんじゃ。そう考えると、なかなか惜しい人物じゃのう。
さて、鮑韜の紹介はこれで終わりじゃな、続いて能力紹介と行こうかのう。彼の登場は他ではコーエーテクモさんの三国志14に出ておるぞい。
能力評価
鮑韜は裨将軍として、恐らく軍の先陣や殿を務めておったと考えられるんじゃ。結果として敗北するが、彼が奮戦したおかげで曹操達は脱出できたと考えられる。そのことからちょうど鮑信の能力を補うように軍事を高く評価しているぞい。
鮑信の副将として配置することで、鮑信軍の総合力が底上げされるようになり、敗北した時も鮑信は脱出に成功した、とワシは考えているんじゃ。じゃが鮑韜を失ったことで、次の死地からは鮑信も脱出することはできんかった、そう考えると哀しい話じゃのう。
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雑談ぢゃ
さて、鮑韜の能力評価じゃな。
鮑信とは補完関係にあるということですね。
そうじゃな鮑信を鮑韜の副将にすることも可能じゃが、その場合、鮑信の統率、知謀、政治が少しずつマイナス補正がかかってしまう。
できればマイナス補正のかかる項目は少ない方が良いですね。
そうじゃな、例えば軍事が190ぐらいあるとか、それを生かすために、と言うケースはあるかもしれんが、そういう特殊事例でもない限りはあまりお勧めはできんのう。
それだけ高い能力であれば、それを生かすというのはあるかもしれませんね。
うむ、そう言う組み合わせを考えるのも編成の妙じゃな。コーエーさんの方も同じような能力になっておるのう。
偶然かもしれませんが、確かに三国志14でも武力が高く、他は鮑信より低くなっていますね。
うむ、多分コーエーさんも同じようなイメージなんじゃろうな。さて、それでは今回はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。