さて、次は鮑信の息子の鮑邵じゃな。
字や生没年は不明じゃ。彼に関しての記述は少なそうじゃがどうかのう。
さて、今回は鮑邵じゃな。鮑信の息子じゃな。
さすがにちょっと分からないですねえ。演義とかにも多分出てないですよね。
うむ、多分出てないと思うぞい。出てたとしても名前だけじゃろうからのう。さて、さっくりと紹介するとしようかのう。
人物紹介
さて、今回は鮑邵の紹介じゃな。と言っても彼に関しては非常に記述が少ないんじゃ。彼の名前が出てくるのは鮑信が亡くなってからじゃ。
『魏書』によると鮑邵は父の風格を受け継いでいたんじゃよ。曹操はそれを嘉し、騎都尉の官を加え、使持節としたんじゃ。この使持節と言うのは地方に派遣される監督官に与えられる名称らしいんじゃ。
これは役職の内容を考えると刺史と同じような役割じゃのう。と言うことは600石ぐらいの役職じゃな。郡太守や州牧には及ばんが、なかなかの役職とは言えるんじゃなかろうか。
そして212年(建安十七年)に、曹操は鮑邵の功績を取り上げ、上奏して鮑邵を新都亭侯に封じられたんじゃ。これは爵位の最上位である列侯の亭侯に該当するんじゃ。
と言うことは212年頃はまだ鮑邵は健在だったということじゃな。父の風格を受け継いで騎都尉になると言うことは文武に優れた優秀な人物だったんじゃろうな。
と言うことで紹介はここまでじゃな、続けて能力評価じゃな。今回はワシ評価のみじゃな。
能力評価
父の風格を持ち、騎都尉に任じられ、また使持節も与えられるということから、軍政いずれもそれなりに評価される人物と評価しておるぞい。
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雑談ぢゃ
さて、鮑信の息子、鮑邵の能力評価じゃな。
こう言うのは評価難しそうですね。実績らしい実績はほとんどない訳ですし。
そうじゃな。じゃからまあ父親補正で多少能力は上乗せしておるんじゃ。ちゃんと父の風格を受け継いだという評判もあるからのう。
関羽や張飛の万の敵に匹敵する、と言うのと同じようなものですね。
そう言うことじゃな。実績の少ない人物でもある程度評判から類推はしていく。
それで名前しか出てこない人物との差別化を図る訳ですね。
うむ、今後もこう言った2世、3世武将は出てくるが、名前だけの人物と、父に似ているとかの評価があるかないかで、この辺りは変わっていくじゃろうな。
さて、そう言ったところで今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。