さて、今日は朱霊の紹介を行うぞい。
字は文博。当初は袁紹の配下じゃったが、曹操に惚れこみ途中から曹操に従うようになるんじゃ。
後に魏を代表する武将の一人となるんじゃ。彼の紹介を簡単にしていくとするかのう。
人物紹介
若き日の朱霊
『魏書』によると朱霊は字を文博と言う。清河郡出身で、元々彼は袁紹の将軍じゃった。
『九州春秋』によると清河の季雍と言う人物がユ県をあげて袁紹から背き、公孫瓚に付いたんじゃ。そこで袁紹は朱霊に城を攻撃させたんじゃよ。じゃがこの時朱霊の家族は城中におったんじゃな。公孫瓚(軍?)は朱霊の母と弟を城壁の上に連れてきて朱霊に寝返るよう誘いをかけたんじゃ。
朱霊は涙を流してこれを拒絶し、力の限り戦って城を攻め落とし、季雍を生け捕りにしたが、朱霊の家族は全員亡くなったそうなんじゃ・・・悲しい話じゃのう。
名君との会合
曹操が陶謙を攻撃した時に袁紹は朱霊に軍を指揮させて曹操を援助させ、朱霊は功績を立てたんじゃ。
徐州征伐が終わると袁紹の派遣した将軍は皆帰還したが、朱霊は曹操の人となりに感激し、「この方こそ真の名君である。今ここで出会ったからにはもうどこにも行かぬぞ。」とそのまま曹操の下に留まるんじゃ。
袁術が行き詰まり、袁譚を通して袁紹に助けを求めたんじゃ。そこで徐州から北上しようとしたんじゃが、朱霊と劉備は袁術の北上を徐州で遮ったんじゃよ。
『九州春秋』では、曹操が冀州を平定した後、朱霊に新たに編入した兵五千と騎馬千を引き連れさせ、許南を守らせたんじゃ。曹操は朱霊に冀州の新手の兵は気ままを許されてきておるから、あまり締め付けすぎると変事が起こるから、道義に従って彼等をなるべく寛大に扱うようにと注意したんじゃ。しかし陽翟に付いたところで、中郎将の程昂が反乱を起こしたんじゃよ。
朱霊は即座に彼を斬り曹操に報告を行ったんじゃ。上の文章の流れじゃと、朱霊が責任を取らされそうなんじゃが、曹操は彼の責任ではない、と判断しておるんじゃ。
ちとこの辺りの文脈のつながりが良く分からんのう。
また別のエピソードになるが、曹操は朱霊を憎んでおり、軍勢を取り上げたいと思っていた。于禁が威厳あったため、彼に命令書を持たせ、軍を取り上げたが、朱霊らは行動を起こそうとしなかった。朱霊は于禁配下の一指揮官となったとあるんじゃ。
行動を起こす、と言うの反乱する、と言うことなのかのう?どうも朱霊は曹操との関係が良く分からん部分が多いのう。
関中方面での戦い以降
馬超との戦いの時、朱霊は徐晃と共に黄河の西へ渡り、陣営を作らせた。この時も活躍したんじゃろうな。
215年3月、朱霊は張郃と共に氐族を攻撃し、打ち破った。この前後で横海将軍になっておるんじゃ。
正史本文では朱霊は優れた将軍になり、名声は徐晃等に次いで後に後将軍に登り、高唐亭侯に取り立てられた、とあるんじゃ。
じゃが、ここも恐らくじゃが、一つ間違いがあるのう。
『魏書』によると、曹丕は皇帝になると朱霊をユ侯に取り立てるんじゃ。そこで曹丕が朱霊に希望はないか?と聞かれると高唐が念願していたところです。と朱霊は答え、高唐侯になったとあるんじゃ。ユ侯は県侯じゃから、そこから亭侯に下がることはないので、正しくは高唐侯じゃろうな。
石亭の戦いで、曹休が孫呉と戦い危地に陥った時、朱霊が駆け付けたことで何とか曹休は退却することができたんじゃ。これが朱霊最後の出番じゃな。
死後威侯と諡され、243年、曹操の霊廟に他の武官たちと一緒に祭られた、とあるんんじゃよ。久しぶりに戦績を載せようかの。
対季雍 ◎(ユ県の戦い)
対陶謙 ◎(徐州征伐)
対袁術 ◎(徐州にて北上阻止)
対程昂 △(陽翟での反乱)
対馬超 〇(関中での戦い)
対氐族 ◎(漢中攻略戦)
対孫呉 〇(石亭の戦い)
8戦 7勝1分
およそ以上になるかのう。官渡や関中では参戦してると思うんじゃが、具体的な戦績がほとんど見えてこんので勝利しているが〇評価としておるんじゃ。程昂の場合、処理は問題なく行っておるが曹操の注意にも関わらず反乱されたのが多少マイナスかのう。さて、それでは能力評価じゃな、今回は全てのゲームに参戦しておるようじゃな。
能力評価
朱霊じゃが、魏では五将軍の徐晃伝の後ろに朱霊が付伝されており、なかなか高い評価を受けているんじゃ。曹丕が皇帝になった時は、張遼、張郃、徐晃と並び四方将軍の一つである後将軍となっておるんじゃ。このことからも彼の評価の高さが分かると言うもんじゃな。
冀州兵の反乱を防ぐことができておれば統率ももう少し高くできたんじゃが、そこが残念じゃのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は朱霊じゃな。
師匠の話によるとかなり優秀そうですが、師匠の評価以外はそこまでもないですね。
うむ、彼はかなりの戦歴を持っておるはずで、それにより高位の将軍職にまで就いているんじゃが、実績が書かれてないからのう。多分遺漏が多いと思うんじゃよ。
曹操が朱霊を嫌っていたのはどうしてなんでしょうね?
こればかりはよく分からんのう。時期も曹操が亡くなるまでずっとだったとは思えんし、最終的には評価しておったんじゃなかろうか。
1つ可能性があるとすれば、朱霊は当初袁紹のスパイだった、と言う可能性じゃろうか。
そのことを知った曹操はことを起こされる前に于禁を使い、朱霊の軍隊を奪い取り、事実上朱霊を無力化させた。それじゃと朱霊達は行動を起こさなかった、と言う文章の意味も理解できるんじゃ。
ちょっと無理やりに見えなくもありませんが、それでしたら少しわかる気がしますね。袁紹が亡くなって、完全に袁家との繋がりが切れたところで、兵を与えたと言う感じでしょうか。
うむ、まあ予想じゃから正しいかどうかは別じゃがのう、ほっほっほ。
魏は五将軍+朱霊が代表武将となる。蜀で言うなら黄忠辺りと比せられる存在と言えるのではなかろうか。
朱霊の記述は少し分かり難い部分が多い感じですよね。最後高唐を望んだのも良く分かりませんね。
まあユ県では家族が殺害されると言う、つらい記憶があるからのう。それ以外で身近なところなんじゃろう。両親どちらかの出身とかかのう。
さて今日はここまでじゃな、次もよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまた!