さて、今回紹介するのは李暹と言う人物じゃ。李姓と言うことから分かるように、彼も李傕の一族の一人じゃな。字や生没年は不明じゃが、李傕と共に殺害されたのであれば197年に没したことになるかのう。
さて、今回紹介する人物は李暹じゃな。
彼も李応と同様に、李傕一族の人物なのですね?
うむ、彼は李傕の兄の子に当たる人物じゃな。
どうも張郃だ。李傕については親族の情報も多いな。
そうじゃな、この一族の力が李傕の強さの源泉だったのかもしれんのう。
並の群雄よりも親族武将の情報が多いですね。
そうじゃな。早速紹介していこうかの。
はい、よろしくお願いします。
人物紹介
さて、李暹じゃが、上でも書いている通り、李傕の兄の子、とあるんじゃ。李傕は字に「稚」の文字が入っておる(稚は3人以上兄弟の末子で使われることがある)から、上に複数人の兄がいたと思われるんじゃ。
『董卓伝』によると、李傕と郭汜が争っていた頃、李傕は天子を人質として自陣営に捕らえたんじゃ。
『献帝起居注』によると、最初は郭汜が天子を自分の陣営に迎えようと計画したんじゃが、夜間郭汜の下から逃亡して、李傕にこの件を密告した者があったんじゃ。
李傕は機先を制するために、素早く行動したんじゃ。この重要な任務を受け持ったのが李傕の兄の子の李暹じゃな。李暹は李傕によって派遣され、数千の兵を統率して宮殿を包囲し、三台の車で天子を迎え入れようとしたんじゃ。
楊彪が
「古来、帝王が人臣の家にお住まいになった例はありません。事を起こす場合には天下の人心に合致しなくてはなりません。諸君のやり方はよろしくない。」
と言うと、李暹は短く
「将軍の計画は決定済みだ。」
と言い、こうして一台の車には天子が、一台の車には貴人伏氏が、残りの一台には賈詡と左霊が乗り、他の人は皆徒歩でお供した、とあるんじゃ。
ただ天子を捕虜にしたただけのように見えるが、郭汜の機先雄制すために素早く動く必要があった。それを成し遂げたこの李暹もなかなかの人物だな。
そうじゃな、さて、李暹の登場はこれで終わりじゃ。続けて能力評価と行こうかの。今回はワシのみの評価じゃな。
能力評価
李暹は数千の兵をそつなく統率し、素早く献帝を迎え入れている手腕から、軍事・統率・知謀ともそれなりの水準と評価しておいたんじゃ。一方政治的判断は李傕同様評価できないと判断し抑え目じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、李暹の能力評価じゃ。
ふむ、軍事面は平均的にそれなりの強さ、と言う感じだな。
指揮官としてはそつなくこなす、と言う感じですね。
そうじゃな、彼も没年は不明じゃが、李傕が処刑された時に三族皆殺しにされた、とあるから李暹もこのときにしょけいされていたであろうな。
まあ李傕同様、政治的にやっていることが酷いからな。仕方あるまい。
そう言うことじゃな、さて、李暹の紹介はここまでじゃな。面白かったならば次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も戻るかな、次もまたよろしく頼むぞ。
良ければ次もご覧ください。それと他の方で興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。