さて、今回紹介するのは王昌じゃな。字は不明、生没年も不明じゃな。彼は実は一度出ているんじゃが、覚えておるかのう。さて、それでは見ていくとしよう。
さて、今回紹介する人物は王昌じゃな。
どうも、張郃だ。王昌とはまた渋い人物の紹介だな
うーん、上でも書いていますが、既に一回出ているんですよね、でもパッとは出てこないですね。
そうじゃな、さすがにここまで来ると、名前を見るだけではパッと思い浮かばんことも多くなるじゃろうな。よし、それでは人物の紹介と行こうか。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、王昌の人物についてじゃが、彼の出番は『董卓伝』のところじゃな。
じゃが董卓とは直接との関連性は見えてこんのじゃ。彼は皇帝直属の近衛兵、虎賁だったんじゃよ。
そんな彼の出番は董卓の時代ではなく、李傕・郭汜の頃じゃな。李傕と郭汜が争っておった時期、献帝が彼らを和睦させるために皇甫酈を使者として送るんじゃ。
皇甫酈は郭汜の説得には成功するんじゃが、李傕はどうあっても承知せず。最後は怒って皇甫酈を追い出す始末だったんじゃよ。
皇甫酈は李傕との応答の内容を申し上げるんじゃが、献帝は皇甫酈の報告した内容の言葉が厳しいことを聞き、李傕の耳に入るのを恐れるんじゃよ。
献帝も苦労しておるな。まあ、相手が李傕や郭汜だからな・・・。
献帝は皇甫酈を逃がすんじゃが皇甫酈が営門を出た時、李傕は虎賁の王昌に皇甫酈を呼びに行かせるんじゃ。もちろんこれで捕まったら皇甫酈の命はない。
王昌は皇甫酈が忠義で、正しい人間であることを知っておったことから、わざと皇甫酈を見逃して行かせた後、戻って李傕に報告し、追いかけたが追いつかなかった、と述べ、皇甫酈を危地から救ったんじゃ。
もし事実を見知った人間がいれば、王昌は処刑されたであろうに、こういう人物も義士と言うべきであろうな。
そうじゃな、さて、王昌の記録はこれで全てじゃ。それでは続けて能力評価と行こうかの。王昌は・・・ほう、鄭問さんのみに出ておるのか、これは珍しいのう。
能力評価
王昌は虎賁として献帝に近侍しておったことから、当然個人的武勇にも優れた人物であったと考え、軍事を高めの評価としたんじゃ。
また、皇甫酈の人間性を見極め、彼の命を救う等の判断、政治的にも見るべきところあり、と考え知謀、政治も少し高めじゃ。ただ恐らく大軍の統率などは経験ないじゃろうから、統率は少し抑えめの評価じゃな。
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雑談ぢゃ
さて、王昌の能力評価じゃな。
ふむ、お主が義士と言っただけあって、なかなか評価が高いのだな。
それにしても董卓軍は遊撃部隊を率いるのにふさわしい人物が多いですねえ。
董卓自身の性格を軍団が引き継いでおる、と言うことかもしれんのう。
確かに軍の特性と言うのは、所属する軍の長の思想が反映されやすい側面があるからな。魏でも騎馬を運用した奇襲・急襲を得意とした人物が多い。
そうじゃな、もっとも王昌はたまたまじゃろうがの。本当に董卓軍の思想を受け継いでおれば、政治はもっと低めのはずじゃw。さて、王昌の紹介はここまでじゃな。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。