さて、今回李傕の紹介その4じゃな。今回は李傕の最後とちょっとしたエピソード、能力評価じゃな。
さて、今回はいよいよ最後の李傕の紹介じゃな。
まさかこんなに長くなるとは思いませんでしたよ。
どうも、張郃だ。俺の紹介も3回だからな。董卓配下の一武将とは言えない分量だな。
そうじゃな、自分もまさかこれだけの分量になるとは思わんかったぞい。 しかも細かい個人の発言などを載せていくとテキストはもっと膨れ上がっておったんじゃよ。
そう考えると良い悪いは別にして、彼も結構な大物の一人だったと言うことですね。
まあ、董卓の後を継ぐような人物だ。それぐらいの逸話はあっても当たり前なのだろう。
うむ、さて、それでは李傕の紹介と行こうかのう。
人物紹介
李傕の最後
さて、李傕の最後じゃが、これはあっさりしたものなんじゃ。
『董卓伝』によると、197年(建安二年)謁者僕射の裴茂を派遣して関西の諸将を統率し、李傕を討伐して処刑、その三族を皆殺しにした、とあるんじゃ。
この辺りは裴茂のところにも載っておるぞい。
先に紹介された李応も処刑されたのだろうが、比較的善良なのに類が及んだ人物達には可哀そうな話だな。
全く事情の知らない人も中にはおったかもしれんですからのう。そう言う人のことを考えると、ちと心が痛むのう。
さて、続けては李傕のちょっとしたネタじゃな。
李傕と曹操の関係
さて、まずは曹操との関係じゃな。
『鍾繇伝』を見ると、曹操が兗州牧となった頃に、初めて使者を派遣して上書してきたんじゃよ。
『世語』によるとこの時使者を務めたのは従事の王必だったそうじゃ。実は彼は曹操のお気に入りでの、立伝されたりはしておらんのじゃが、要所要所で名前が出てくる、結構面白い人物なんじゃ。
閑話休題、この時李傕と郭汜は以下のように考えておったんじゃ。
「関東では勝手に天子を立てたいと望んでいる。今、曹操は使者を送ってきたものの、彼の本心ではあるまい。」
彼らは曹操の使者をとめおき、彼の意図を拒絶することを相談したんじゃ。その時に鍾繇は李傕・郭汜に進言したんじゃ。
「ただいま英雄が次々と立ち上がり、各自天子の命令と偽り勝手に行動しています。ただ、曹兗州だけが王室に心を寄せているのに、その忠誠心に逆らうとは将来の期待にそうやり方ではありません。」
この鍾繇の説得は功を奏して、李傕等は彼の進言を採用し、ねんごろに応答してやったんじゃ。これにより、曹操は使節を通じることができるようになった、とのことじゃ。
この頃はまだ鍾繇殿も曹操殿の配下ではなかったはず。さすがの慧眼よ。そして曹操殿も献帝を迎える前の、かなり早い時期から朝廷に使者を送っていたのだな。
李傕と孫堅の関係
さて、次は孫堅との関係じゃな。
董卓は関東諸侯連合軍をそこまで脅威には感じておらんかったんじゃが、唯一孫堅の勇猛さを畏れて、使者を立てて和睦を結びたいと考えたんじゃが、この時使者として赴いた人物の一人が李傕であった、とのことじゃな
もしかしたら李傕と孫堅は直接会っていたかもしれないな。
さて、次に『山陽公載記』で、董卓と劉艾とのやり取りがあるんじゃ。ちょっと長くなるので省略するが董卓は
「関東軍の中で唯一孫堅は他の奴ほど馬鹿ではなく、人をなかなかうまく使う才能がある。武将達に伝えて、こいつに警戒するように周知させねばならぬ。」
と言い、更に具体的な例を挙げていくんじゃ。
それに対し、劉艾は
「孫堅はときに優れた計略を表しますが、元々李傕や郭汜にも及ばぬ人物です。」と
更に実例をその後に挙げてこき下ろすんじゃ。
実際に孫堅が李傕等に及ばなかったかは別にして、こういう意見がある、と言うのも面白い話じゃな。さて、人物紹介はここまでじゃな、続けて能力評価と行くぞい。今回は全作品に出ておるぞい。
能力評価
李傕は勇猛な董卓軍の一翼を担う将であり、董卓死後は董卓の後継者の一人として力を発揮した人物じゃ。呂布ですら打ち破られていることから並の力量うではなかったろう、と考え軍事と統率は高めじゃな。
また策略で樊稠を殺害したり、巫女や巫術を重視しておることから、実は知謀もそれなりの評価なんじゃ。実は易や巫術は当時の科学技術でもあるから、やってること自体は問題ではないからのう。ただ政治は壊滅的じゃな。これが全くダメなために、彼は身を滅ぼしたと言えよう。
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雑談ぢゃ
さて、李傕の能力評価じゃな。
これは分かり易いな、皆軍事面が一番能力が高く、次いで統率が来ておる。
師匠と天舞さんは知謀も高めですね。
そうじゃな、郭汜や樊稠が純粋な軍事的強さであるのに対し、李傕は策などの搦め手からの攻撃も多い。そのことからの評価じゃな。
鄭問氏の李傕は政治が微妙に高いな。こちらは政略的な暗殺(樊稠等)を政治能力で表しているのかもしれないな。
そうじゃな、ただ、郭汜や樊稠、張済とも折り合いが悪く、部下の楊奉からも離反される等、政治的にはどうしても評価を抑えめにするしあなかったのう。さて、今回はここまでじゃな。長かったがお付き合いしてくれた方、感謝じゃ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さんもお疲れさまでした。次もよろしくお願いします。