さて、今回紹介する人物は李儒じゃな。演義では董卓の知恵袋として活躍をしておったが、彼はまた演義と正史で大分人物像の違う一人じゃな。字は文優。彼には少し秘密があるんじゃよ。
さて、今回紹介する人物は李儒じゃな。
演義では、と言うことは正史では違う、と言うことですか。
うーん、そうじゃな。その辺りはぼつぼつ説明していくとしようかのう。
??何か奥歯に物が挟まったような物言いなのが気になりますね。上でも秘密が、とか書いていますし、色々教えてください。よろしくお願いします。
うむ、それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、今回李儒に関しては『3pedia』に詳細が載っているので、そちらを中心に見ていくとしようかのう。
李儒は馮翊郡郃陽の人なんじゃが、黄巾の乱が勃発した時に、曹全と言う人物が県令となり、見事黄巾賊を撃退し、善政を敷くんじゃよ。後にそれを称える碑が建てられるんじゃが、そこに博士として李儒の名前は載っているんじゃよ。
『後漢書皇后紀・後漢紀』によると、董卓が洛陽に乱入して朝政を牛耳り、少帝を廃して弘農王となった時に、李儒は弘農王の郎中令となるんじゃが、これが李儒の運命を暗転させるんじゃな。
董卓は李儒に命じて、弘農王に毒酒を飲ませ、殺害するように命じるんじゃよ。
イヤな役回りだな、とは言え拒めば李儒自身が殺されるだけ、か。
さすがに献帝もこの行為を許すことはできず、相当李儒を嫌悪したようじゃな。
『後漢紀』によると、後に董卓が死に、李傕と郭汜等が実権を握るんじゃ。そして李傕が李儒を侍中に推挙すると献帝は「李儒はかつて弘農王の郎中令となり、我が兄に迫って弑逆した。まこと処罰を加えるべき輩である」と詔勅を下し、これを拒絶しようとするんじゃ。しかし李傕は飽くまでも「董卓の仕業であって李儒の本意ではありませぬ。罪なき者を処罰してはなりませぬ」と譲らなかったんじゃよ。
献帝の気持ちも分かるが、少帝暗殺の件に関しては、さすがに李儒もどちらかと言えば被害者の方だからな。
そうじゃな、さて、李儒の紹介はここまでじゃな。演義とはだいぶ違うこと分かったじゃろうか。続けて能力評価と行こうかの。李儒は天舞さん以外の作品に登場じゃな。
能力評価
李儒は元々学者として名を馳せておったようじゃ。しかも曹全を称える碑文自身を作ったのも彼かもしれんと言うことから、知謀と政治を高めとしたんじゃ。
軍事面は実績がないのと、他には最後侍中になったらしいこと以外の実績がないので、全体的にやや抑えめじゃな、とは言え演義に引きずられ少し評価が高いようじゃな。
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雑談ぢゃ
さて、李儒の能力評価じゃな。
そう言えば李儒の秘密っていったい何なんでしょうか。
そうじゃったな、李儒は実は正史三国志には裴松之の注釈も含めて一切名前が出てこない人物なんじゃよ。
えっ!?、それって周倉のように演義で創作された架空の人物、と言うことですか?
いや、そうではない。碑文に刻まれた名前や、三国志以外の史書から同時代に李儒と言う人物がいたことは確かだ。ただ三国志の方では出番がなかった、と言うことだな。
さよう、逆に言うと正史にも名前が出てこない人物を、良く演義は取り入れたもんじゃな、と感心するぞい。あまり李儒の評価自体は見ておらんかったが、碑文の記録や役職などから推察すると、他作品の李儒の評価自体は多少高いかもしれんが、イメージからはそうかけ離れておらん、と言うことじゃな。
師匠含めて皆知謀が高めでその次が政治と言う並びですから、確かにそうですね。そう考えると演義の歴史史料からの引用ってなかなかスゴイのですね。
うむ、小説だからと侮れん部分があるのは確かじゃな。さて、今回はここまでじゃ。実は正史に名を残していなかった李儒、ちょっと意外であったろうか。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。