三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

龐季(ほうき) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは龐季じゃな。字や生没年は不明。龐と言う姓からある人物達が思い浮かぶんじゃが、関係はあるんじゃろうか。気になるところじゃのう。

 

さて、今回は紹介するのは龐季じゃな。

どうも、張郃だ。ふむ、上で言っているのは龐統龐徳のことを指しているのだな。 

鳳雛と呼ばれた龐統さんですか。本当に姻戚関係はあったのでしょうか?

どうじゃろうな。何とも言えんところじゃが、彼の事跡について見ていくとしようかのう

人物紹介

さて、時代は劉表荊州に赴任してきてしばらくのことじゃ。

蒯越などの進言により従わない豪族を処断し、うまく勢力を伸ばしていた劉表じゃが、ただ江夏の張虎と陳生だけは軍勢を擁して襄陽に依拠していたんじゃよ。

そこで劉表と龐季を部下を付けずに単独の使者として送り、彼らを説得して降伏させたんじゃよ。

確かに蒯越殿と同様に、単独で敵陣に乗り込んで説得してしまう、と言うのは見事な才知を感じさせるな。

じゃが、龐季の記録はこれで終わってしまうんじゃな。

一応ネットなどでも龐統達との姻戚関係の有無を調べてみたんじゃが、明確にそのことを示唆するような記載は見当たらんかったんじゃ。一応中国語版のWikiも見てみたが、そちらにもその辺りの記述は見当たらんのう。

ただ、そちらを見ると『水経注』に新たな記述を派遣したんじゃよ。要約すると大体以下の感じじゃな。

宜城県に大山があるが、198年頃にその山が崩れてその地響きの音が5~60里先まで聞こえた、とあるんじゃよ。

宜城県の人はこのことを侍中(治中?)の龐季に訊ねると

「山が崩れ河が乾くと言うことは、国が亡ぶことを示している。荊州の主が入れ替わることを示しているのだろう。」

と答え、後の荊州情勢を言い当てたんじゃよ。

今回は適当なマイ翻訳なので、もしかしたら意味が違っているかもしれんので許してくだされい。

上記の内容から、龐季の学んだ学問の全ては分からんのじゃが、学問に対してかなりの造詣はあったと思われ、おそらくその中には易学も含まれていたのではなかろうか。

さて、それでは龐季の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価と行こうかの。彼はワシの評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 龐季(20歳)  30 25 115 60
 ↓ ↓ ↓  ↓↓↓
 龐季(45歳)  57 51 150 90

 

さて、龐季に関してはほぼ事績が見当たらんのじゃが、上記の未来の荊州情勢を言い当てたこと、そして賊相手に単独で交渉し降伏させたことから特に知謀を高く評価したんじゃ。

侍中(治中?)であったことから、政治も高めの評価じゃが、知謀程ではないかのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、龐季の能力評価じゃな。

劉表勢力も侮れんな、まだこれだけの人材がいるとはな  

知名度はないですが、やっていることは結構凄いですね。でも結局龐統達との関係性は見えてこなかったんですね。

そうじゃな。一件それらしき記述もあったが、それも原著が何かはっきりせんかった以上、証拠とはならんかったからのう。 

もしかしたら史書に載っていない風土記や地理志に載っているのかもしれんがな。  

あじゃがさすがに今のワシでは、その辺りの情報までは得られんかったからのう。残念じゃが、龐季についての紹介はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。