さて、今回紹介する人物は張虎じゃな。字や生没年は不明。もしかしたら張虎と聞いてあれ?と思った人もいるのではなかろうか。多分考えている人とは別人なんじゃよ。それでは見ていくとしようかのう。
さて、今回は張虎の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。上で書いている張虎と言うのは張遼殿の息子のことだな。
そう言えば、演義でも出てきて蜀軍との戦いでやられていましたね。彼とは別人なのですね?
うむ、時代が違いすぎるしのう。こちらは191年頃の話じゃが、張遼の息子となると、良くて生まれたばかり、と言ったところじゃからのう。
人物紹介
さて、張虎の記録はとても少ないんじゃよ。
『劉表伝』を見ていくと、蒯越の進言を受けて、劉表が宗賊の頭を集めて五十五人を処刑した後、その配下の軍勢を吸収して膨れ上がったんじゃが、それでも劉表に従わない賊がいたんじゃよ。
その一人が張虎じゃな、彼は江夏郡の賊で、軍勢を擁して襄陽に依拠していたんじゃ。
そこで劉表は張虎等、賊の頭を説得するために、蒯越と龐季を部下を付けずに単独の使者として送り、彼らを説得して降伏させたんじゃよ。
何度かこの記述を見るが、単独で説得する蒯越殿と龐季殿は優れた交渉術の持ち主であるな。
そうじゃな。そしてこれ以降は張虎の記述は見当たらんのじゃよ。
と言ったところで張虎の紹介はおしまいじゃ。それでは能力評価を見ていくとしようかの。今回もワシのみの評価じゃな。
能力評価
張虎は賊として劉表に抵抗していた賊と言うことで、その勢力はうかつに劉表も手を出せんかったようなんじゃ。そのことから軍事面の能力を高めの評価としたんじゃよ。
また政治面は特に記載がない者の蒯越らの説得を受けて降伏するだけの判断力があったことから、少しだけ政治も高めなんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、張虎の評価じゃな。
確かこの賊は張虎ともう一人セットでいたはずだな。
そう言えば蒯越さんと龐季さんが単独で、と言うことでもう一人説得していましたよね。
ふむ確かにそうなんじゃが、何か張郃殿は気になることがあるんじゃろうか。
いや、大体二人の組み合わせの場合、お主は大概片方が軍事高めだともう片方は統率が高めになるから、そう言うことか・・とな。
うう、さすがは張郃殿。見抜かれたんじゃな。
張虎の軍事が高いのが何か意味がある、と言うことですか?
そうじゃな。張遼の息子が張虎殿、張遼殿の武名は三国志中でもトップクラスじゃ。当然息子の張虎も軍事は高め。
あああ、同じ名前繋がりで、今回紹介した張虎も軍事評価を高めにした、と言うことですね。
そう言うことじゃな。ちょっとしたお遊び評価になってしまうんじゃが。名前のイメージからも勇猛そうと言うのは大きく外れてはおらんと思うしのう。さて、色々書いたが、張虎の紹介はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。