三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫秀(そんしゅう) 字:彦才(?~301)

さて、今回紹介する人物は孫秀じゃな。彼もまたマイナーな人物ではあるが後期呉における重鎮だったんじゃよ。じゃが、その彼が晋に亡命してしまった。彼の周りで何が起こっていたか、見ていくとしようかのう。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫秀の紹介じゃな。おお、そういえばこの時代でなければこの名前は使えんかったのかもしれんのう。

ん、どう言うことでしょうか。

光武帝劉秀と同じ「秀」の名を使用しているからな。

三国それぞれの国が興ったことで使用できるようになった、後漢時代であれば簡単に使用できなかったであろうな。

ちなみに孫秀は孫匡孫権孫翊の弟)の孫に当たる人物だな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫秀(20歳)  75 110 55 80
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓
 孫秀(45歳)  106 145 84 112

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

孫秀の存在はどうやら、孫晧にとって危機感を覚える立場であったようだな。

孫秀は、前将軍・夏口の督に任ぜられた。孫秀が皇族の内でも皇位に近い人物であり、その彼が地方にあって兵権を握っていることに対し、孫晧は心に不安を禁じえなかった。建衛二年(270年)、孫晧は何定を派遣し、五千人を率いて夏口に行き、そこでまき狩りを行わせた。

以前から、人々の間では「孫秀はワナにはまるであろう」との言葉が広くささやかれていたのであるが、ここで何定がこんな遠方までまき狩りのためやってきたと言うことから、孫秀は不安に駆られ、妻子や子飼いの兵士たち数百人を連れて、晋へ亡命した。

晋では、孫秀を驃騎将軍・儀同三司に任じ、会稽公に封じた。(『孫匡伝』)

孫権の弟の孫ですから、確かに皇位に近い人物と言えそうですね。

晋でも彼の立場を慮り、開府の権限まで与えているな。儀同三司は幕僚を揃え、幕府を開くことを許された立場だ。

他で言うと蜀から降伏してきた黄権も同じ権限を与えられているな。

呉国内における彼の影響力の高さを感じさせる逸話ですね。

さて、彼の逸話はもう少し続きがあるようだな。

孫秀が晋の朝廷にあって、孫晧が降伏したとのニュースがはじめて伝えられた時、群臣たちはみな祝賀に参上したのであるが、孫秀は病気だと称してそれに加わらず、南を向いて涙を流しながら言った。

「昔、討逆将軍(孫策)さまは年二十歳にして一介の校尉から大業を起こされた。しかるに今後主は江南の地のすべてを打ち棄ててしまった。宗廟も山陵もこれがために廃墟となろう。遥かなる蒼天よ、かの亡国の主君は何という人でなしか。」

朝廷をあげて、孫秀のこうした行動を賛美した。(『孫匡伝』裴注『晋紀』)

呉が平定されると、孫秀は位を落とされて伏波将軍となったが、開府は元通り認められた。永寧年間に孫秀は死去し、その死後、驃騎将軍・開府の位を贈られた。(『孫匡伝』裴注『晋諸公賛』)

孫楷は、厳格に身を処したという点では孫秀に及ばなかったが、世間的な名声は孫秀よりも高かったのである。(『孫韶伝』裴注『呉録』)

晋の朝廷内では非常に評価が高かったようですね。

とは言え晋では、北方の名士たちはなかなか彼の幕僚にはなってくれなかったようで、苦労しているようだな。

評価は高くとも、南方人として晋国内でも微妙な扱いを受けていた、と言うことですか。なかなか厳しい話ですね。

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 孫秀  55 51 53 56 67

 

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簡単解説

孫秀と孫楷を比べると、統率や政治と言った評価は孫秀の方が、軍事と知謀は孫楷の方が上回っていますね。

とは言え、知謀は微妙な数値だからな、高い統率と政治がより高い孫秀の方が、総合的には高い評価となるであろうな。  

そう言うことじゃな。逸話を見ても孫秀の方が一本芯が通っている、と言うか少しぴしっとしていると思うんじゃよ。

さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

よし、それでは自分も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。