三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陸式(りくしき) 字:不明(?~?)

さて、今回陸式の紹介じゃな。彼は陸胤の息子と言うことで、陸氏の中では陸凱・陸胤兄弟の系譜に連なる人物のようじゃな。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は陸式についての紹介じゃな。上でも書いているが陸胤の息子じゃな。

陸遜から見ると孫世代に当たる人物のようですね。

とは言え、陸凱は198年生まれと陸遜(183年生まれ)とは年の離れた弟ぐらいの年齢差だからな。感じとして、今回の陸式や陸凱の息子の陸禕も、陸抗とあまり年は離れていなさそうだな。 

そうじゃな、それでは陸式について見ていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 陸式(20歳)  75 45 55 50
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 陸式(45歳)  106 73 84 79

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

陸式については『陸凱伝』の最後の方に少し記録があるようじゃな。

陸胤が死去すると、その息子の陸式がその爵位を継ぎ、柴桑の督、揚武将軍となった。天策元年(275年)、陸式は従兄の陸禕と共に建安に強制移住させられた。

天紀二年(278年)に建業に呼び戻され、元通り将軍の号と侯の爵位とを与えられた。(『陸凱伝』)

強制移住とは・・・陸抗が亡くなった後、結構辛酸をなめていたのですね。 

まあ、陸凱とかの上奏とか、孫晧には耳の痛いことも多かったであろうからな。一族を族滅などはできんだろうが、少しでも意趣返しをしたかったのであろう。 

 

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簡単解説

強制移住させられた後、結局呼び戻されている辺り、本人の能力の高さが伺えますね。

逆に言うとそれぐらい呉の人材が払拭していた、と言うことかもしれないがな。  

そう言う見方もできるのですね。

孫晧の時代にこれと言ったなのある武将は、本当に数えるぐらいじゃからなあ。終わりが近づいていた、と言うことじゃろうな。さて、今回はここまでじゃな。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。