さて、今回は公孫瓚配下の鄒丹の紹介ぢゃ。
字や生没年は不明ぢゃな。彼は公孫瓚に引き立てられ、漁陽太守となっていたのじゃ。
しかし、後に公孫瓚に劉虞が殺された後、彼はその復讐として劉虞配下じゃった人物達に斬られておる。その辺りを簡単に説明しようかの。
人物紹介
劉虞の配下で従事であった鮮于輔・斉周、そして騎都尉の鮮于銀は、燕国の閻柔が人々に恵みを施す等してカリスマ性があったことから、彼を烏丸司馬として推し立てました。
そして閻柔はその期待に応え、烏丸・鮮卑族に誘いをかけて漢人と合わせて数万の軍勢を組織し、鄒丹と戦い打ち破っているんじゃ。
この戦いで鄒丹は斬られたんじゃ。まあ公孫瓚が異民族に対して、あれだけ苛烈な対応をしていたことを考えると、この結果はやむなしかもしれぬのう。鄒丹の正史における記述はこれだけじゃ。さてそれでは能力の評価いくぞい。今回は鄭問之三國志は出番なしぢゃ。
能力評価
鄒丹は刺史よりもう一つ下の太守の地位で、更に閻柔達になすすべなくやられているので、少し能力も控えめじゃな。太守と言うことで政治はそれなりと考え、評価しておるぞい。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回も公孫瓚配下の鄒丹じゃな。とは言え鄒丹自身は漁陽太守であったことと斬られたこと以外あまり語ることが無いのう。
師匠と天舞~三国志正史~は軍事面の能力が低めで政治が少し高めですね。
うむ、太守はまず現地の統治をきっちり行えなければならんからの。まあ現地に行っていない名前だけの太守も多いが、彼は現地で斬られているのじゃから現地で統治を行っておったのじゃろう。特に暴虐だった訳でもないようなので、無難に勤めていたのではないかの。
それにしても閻柔と言う人物はなかなかすごいですね。何かちょっと見てるだけでも凄い人がどんどん出てきていませんか?
うむ、閻柔はこの後もあちこちで名前が出てくるであろう結構重要な人物ぢゃ。しかもこの時期まだ20行くかどうかの若者だったはずじゃ、そう考えると余計凄さを感じるのう。
近い内に閻柔は鮮于銀等と共に出てくるであろう。その時の評価を楽しみにしておれ。今日はここまでじゃな、ではまたぢゃ。
また見てくださいね、それでは!