三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

楊林(ようりん) 字:不明(?~?)

さて、今回は楊林じゃ。袁紹の配下として一ヶ所だけ、それも裴松之の注釈に名前が出てくるのみじゃ。。

字、生没年は不明じゃな。

それでは楊林について紹介していくとしようかの。 

ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は楊林じゃな。

全然知らない方ですね。吉川三国志とかにも出てこないですよね?

そうじゃな、多分演義に出ておらんはずじゃから、吉川、横山三国志にも出てこんと思うぞい。

かなりマイナーそうな人物ですね。

うむ、それでは楊林について説明するぞい。

人物紹介

楊林が出てくるのは異民族の烏丸が袁紹に協力して、公孫瓚を破った時の話になるんじゃよ。

裴松之の注釈でもある『英雄記』に書かれておるが、この時、蹋頓、蘇僕延、烏延は袁紹に協力したんじゃ。そこで袁紹は朝廷の文書を偽造し、楊林を行謁者として遣わし、単于印綬と馬車服飾を贈らせ、彼等の功労に報いようとしたんじゃよ。

「行」は別の所でも書いたと思うが、代行の意味じゃな。謁者は取次役、官の任命や序列を司っているんじゃ。

まあ元々偽造文書じゃから、謁者も暫定的に楊林に授けた官職、と言うことじゃろうな。

ちなみに裴松之についての解説をしておくかのう。

 

豆知識

裴松之(372~451年)は東晋末から宋にかけて生きた人物じゃ。三国志の時代から150~200年ぐらい後の時代の話じゃな。

宋の三代目皇帝が、三国志は簡素過ぎることを残念がっておって、裴松之に注釈を付けることを命じたんじゃ。

裴松之は数年の歳月をかけて正史本文に載っていない資料を集め、整理して追加したんじゃ。

これによって簡素過ぎると言われた三国志に深みが加わり、物語としての面白さもぐっと上がったんじゃ。後に三国志演義に挿入されるエピソードで、この注釈から取り入れられたものも多くあるんじゃよ。

裴松之の注釈の内容は、陳寿が簡素にまとめようとしたのとは違い、とりあえず残っている資料は異説等も含めて全部載せる。そして自らの意見や解説を行っているんじゃよ。

ただ彼の書き方は結構個性的と言うか、正史の著者の陳寿とはずいぶん違うんじゃ。陳寿がなるべく意見が偏らないよう客観的に話を書いているのに対し、「オレはこう思う、コイツの言ってることはでたらめだ」とか堂々と書いておるんじゃ。批判のためにそのまま載せているんじゃな。

ただ、一部好悪が極端すぎて意見が偏向しておる所も結構ある。特に賈詡陸遜陸抗辺りは結構嫌いらしく、かなり批判的じゃな。逆に諸葛亮姜維は大好きで、批判している資料に噛みついて、擁護の意見を書いておるぞい。

わざわざ噛みつくために批判している資料を載せる、なかなか面白い人物なんじゃよ。

ちなみに裴松之後漢に裴茂と言う人物の子孫なんじゃ。この人物はなかなか優秀でのう。そのうち出てくるから覚えてくと良いぞい。ちなみに裴茂の子供に裴潜と言う人物がいるが、彼は魏志に立伝されておるんじゃ、親子そろって優秀な一族なんじゃよ。

 何か楊林よりも裴松之の方の説明が多くなった気がするのう。まあ今回の楊林は書くことが少なかったから仕方ないのう。

楊林は烏丸への使者を務めた後は出てきておらんのう。今後どこかの資料に名前が出てきたら追記するぞい。

それでは続いて能力評価と行くかのう。今回はワシ評価のみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 楊林(20歳)  45 30 60 55
 ↓ ↓ ↓ 
 楊林(45歳)  73 57 90 84

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楊林は行謁者として異民族への使者としての役割を果たしておることから知謀や政治がやや高めじゃ。ただ、他に目立つ話がないため、全体的には抑えめの評価じゃな。

 

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雑談ぢゃ

さて、楊林の能力評価じゃな。

他のゲームでの評価が無いと何とも言えませんね。

そうじゃなあ。それじゃワシの基準の話を少しするぞい。今回の楊林は文官系の人物じゃが、大体役職から武官と文官の系統に分かれるんじゃよ。

そこで楊林のように目立つ事績がない、名前だけしか出てこない場合は大体メインとなる能力でも100未満とすることが多いのう。

逆に実績があれば得意分野では100を超えてくる感じじゃな。それと名声のある人物などは実績が少なくても数値を高くしていくぞい。

名声と言うと、分かり易い例はありますか?

そうじゃな、関羽張飛じゃが、実は彼らの戦闘実績って案外少ないんじゃよ。それに敗北もそれなりにあるんじゃ。じゃが、彼等は万の兵に匹敵する等の評価がある。敵からそんな評価を受ける彼等の能力を低くできるか?となるとそうはいかんのじゃよ。

確かに実績だけで彼等の能力が低くされると、吉川三国志とかを読んでいる身としてはちょっと違和感を感じてしまいますね。

うむ、それにやはり敵国から評価され、警戒される、と言うのも評価に繋がると思うからのう。関羽は長年荊州で魏呉を睥睨し、維持しておった。これも立派な実績なんじゃよ。

名声で相手を威圧する、と言う感じですね。イチイチ戦闘するよりもある意味では効果的ですよね。

百戦百勝は善の善なる者に非ず、と孫子も言っておるでのう。戦わずして敵を抑え込める、と言うのも立派な才能と言えるじゃろう。

とは言え、正史準拠にすると魏呉や他勢力の武将評価が上がるため、相対的に蜀の武将の評価は下がってしまうことになるんじゃ。蜀好きの人には申し訳ない話じゃ、すまんのう。

でも圧倒的に強い武将や軍師がいるのに弱小勢力、と言うのも違和感あります。師匠の評価が絶対とは思いませんが、史実準拠だと演義とどれぐらいの違いがあるの比較はしてみたいですね。

そうじゃな、そう言う比較コラムのようなものも作ってみても良いかのう。まあその前に一人でも多く人物紹介をしていかんといかんがのう。

さて、結局楊林の話はあまりできんかったのう。楊林好きの方がいたとしたら申し訳ない。爺トークじゃこの辺りが限界じゃったワイ。次で袁紹陣営ラストじゃ。

うまい具合に週末に袁紹陣営終わりそうですね。

うむ、それでは次もまたよろしく頼むぞい。

次も見てくださいね、それではまたです!