さて、今回は許攸じゃ。袁紹陣営を代表する参謀の一人じゃな。
字は子遠、生没年は不明じゃな。
袁紹とは奔走の友と言う間柄だったんじゃ。奔走の友とは心を許しあい、危難に駆け付ける仲間、と言う関係じゃな。また、曹操とも仲が良かったとある。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は許攸じゃな。
あれ、並び順がおかしくないですか?次は名前が「ほ」以降で始まる人なのではないです?
う、うむ、実は人数が合わんなと思ってよくよく見たら許攸が抜けておったんじゃよ、誠にすまんのう。
相変わらず抜けていますね、師匠。
いやー、これは本当に申し訳なかったぞい。
許攸は演義でも出てましたね。確かあまり良い印象は無かった気がしますが。
うむ、まあその辺りは彼の人物像を見ていくことで分かるかもしれんのう。それではさっそく人物紹介といくぞい。
人物紹介
若き日の許攸
最初に名前が出てくるのは霊帝を廃位させ別の人物を擁立させようとするんじゃ。そして曹操にその計悪を打ち明けたんじゃが、曹操はそれをきっぱりと拒否したんじゃよ。
袁紹が董卓の下から脱出し時に許攸と逢紀も共に行動しておるんじゃ。そして三人で冀州に赴いたんじゃな。その後、袁紹をリーダーとして旗揚げし、公孫瓚を滅ぼした時に、許攸は田豊らと並んで参謀に任じられたんじゃよ。
色んな人物の許攸評
孔融と荀彧の評によると、孔融は許攸のことを田豊と並んで知謀の士、と評しておる。一方荀彧は許攸は貪欲で身持ちが治まらない、審配と逢紀は共に独断で動き、計画性がないため、許攸の家族が法律を犯しても大目に見ることはできまい。許攸は必ず裏切るであろう、と評しておるんじゃ。許攸の知謀自体は否定しておらんようじゃのう。
しかしここの荀彧の評価はちと具体的に過ぎるかのう。感覚的にじゃが、その後の事態を知るもの(史家)の手による創作も一部入っている可能性(家族が法律を犯しても~のくだり等)があるのう。
また、『漢末名士録』では袁術は許攸のことを「貪婪淫蕩で、性格・行動の不純な人物である」と評しておるんじゃが、これに対し陶丘洪は「不純な人柄とは言え、危難に立ち向かっていって、泥を被るのをいとわない」と擁護しておるんじゃ。
どちらにしても人格に難点があるのは確かなようじゃな。
官渡の戦い
袁紹陣営で、官渡にて対峙中、許攸は曹操と打ち合わずに対峙しつつ諸軍を分けて、別の道を通ってまっすぐに天子を迎えるようにと進言するんじゃ。
しかし袁紹は曹操を倒すことにこだわり、その進言を拒否するんじゃよ。それにより許攸は腹を立てたとあるんじゃ。
『曹瞞伝』によると、許攸が曹操の下に降伏してきた時に兵糧の残りはいくらあるのか?と言う許攸の問いに対して、曹操が一年、半年、実は一月ほど、応えておるんじゃが、これはそのまま演義に収録されておると思うぞい。
まあ曹操はうそつきですよ、と言うのを強調したいがための創作くさい話なので、信憑性は微妙な所じゃな。
その後、袁紹の輜重が烏巣にあることを伝え、曹操は自ら軍を率いて攻撃に向かうんじゃ。こういう場面で自ら攻めに行くのが曹操らしいと言えるじゃろうな。
またこの時、淳于瓊を破り、彼の鼻を削いだんじゃ。淳于瓊は曹操の下に連れてこられた時、堂々と受け答えし、曹操はその態度に感心して生かそうかと考えたんじゃが、許攸が「朝になって鏡を見れば絶対に我々に対する恨みを忘れませんぞ。」と進言し、結局殺害した、とある。
しかしこれも創作じゃろうな。楽進伝で、淳于瓊は楽進が殺害したとあるし、鼻を削いで本陣に引き連れて会話するだけの余裕がある状況でもない。後ろからは袁紹が送り込んだ騎兵が迫っておる状況じゃからな。
仮にそれを破った後だとしても、他の袁紹陣営の将官が多く斬られている中で、淳于瓊のみ生かしておく理由がないからのう。曹操の残虐さを強調するための創作の可能性が高いじゃろうな。
驕り高ぶった故の最期
やがて許攸は曹操に対し昔の関係をたのんで不遜な態度をとるようになり、遂には処刑されるんじゃ。許攸は曹操との力関係を図ることなく、なれなれしい態度を取り、曹操の幼時の字を呼び(目上の人間に対しては不敬も甚だしい)挙句の果ては鄴の東門を通った時、「曹操はワシを手に入れられなかったら、この門を出入りできなかっただろう。」と言うに及び、ついに逮捕され処刑されたんじゃ。
むしろ幼時の字を呼んだりした時点でよく耐えたもんじゃ、と感心するぞい。
さて、続けて能力評価と行くぞい。今回は3作品とも出演しておるんじゃよ。
能力評価
許攸は策略に優れ、と言う評判があり、実際に彼の進言により曹操は袁紹を破り、河北の覇権を確立できたと言える。そのため知謀を高く評価したんじゃ。
その一方で己の功績に驕り、曹操との関係も昔通りで行かなくなっていることに気付かず、遂に処刑されるに至っている点から、他の能力は抑えめじゃな。純軍師として使うのが一番良いじゃろうな。
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雑談ぢゃ
さて、許攸の能力評価じゃな。
許攸に関しては師匠とコーエーテクモさんの能力は似ていますね。知謀、知力が高くて政治が低いです。
そうじゃな。参謀としては優秀じゃが、己の身の処し方を誤り、破滅になっておるので、政治を上げるのはちとはばかられるんじゃよ。
天舞さんと鄭問さんのは逆に政治の方が高いですね。
うむ、これはちと分からんのう。政治的な実績はあまりないと思うからのう。
結構個人の発言で創作が多い、と書かれていますが、そう言うものなんでしょうか?
うむ、史書の書き方の特徴になるんじゃが、資料のない部分や個人の発言などは史家の創作が許されておる、いや、むしろそう言ったいつ誰に何を発言させるのか、と言うところこそ史家の腕の見せ所、とでも言うべきかもしれんのう。
じゃから、ワシは個人の意見、それも人払いして二人きりでの会話等はあまり妄信しないようにしておるんじゃよ。
そう言えば、たまに見てきたように語っている、と感じることが演義でもありましたね。
うむ、演義も結構正史の注釈とかを引っ張ってきた会話があるからのう。
正史もある程度の創作はある、と言う前提で見ておかないと、酷く歪な見方になることもあるから注意は必要じゃよ。
分かりました。そう言う部分があればまた教えてくださいね。
そうじゃな、まあワシの言うことも絶対ではないが、疑問に感じる部分があればそこは検証の余地があると思って良いぞい。
それでは今日はここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
次も見てくださいね、それではまたです!