さて、今回は眭固じゃな。『典略』によると字は白兎と言うらしいんじゃ。字が残っておるのは珍しいのう。
彼は黒山賊の首領の一人だったらしいんじゃ、じゃがそこからの道は張燕とは分かたれたものとなるようじゃ。彼がどのような人生を歩んでいったか、紹介していくとしようかの。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は眭固じゃな。
何か意味深なことを上で語っていますが、黒山賊の首領の一人である彼に何があったんでしょうか?
そうじゃな、元々張燕は黄巾賊と共に旗揚げし、冀州の地では董卓、そして後には公孫瓚について、常に袁紹と戦い続けていた。
その辺りは既に紹介されていた内容ですね。
しかし全ての人物がずっとそうであった、とは限らんと言うことじゃな。それでは人物紹介といこうかのう。
人物紹介
黒山賊首領として
まず191年じゃが、眭固等十余万の軍勢が魏郡を攻略した。この時東郡太守の王肱は防御しきれなかったとある。魏郡と東郡は隣接しておるので、恐らく魏郡から流れて侵攻してきた黒山賊の攻撃に耐えられんかったんじゃろう。
この時は曹操が駆け付けて、賊将の一人である白繞を破ったとあるんじゃ。これにより袁紹は曹操を東郡の太守に任じるよう上奏したんじゃよ。
続いて192年に曹操が頓丘に陣を置いた時、于毒らは東郡の政庁である東武陽を攻めたんじゃ。諸将は東武陽を救出するように進言したんじゃが曹操は「囲魏救趙」の故事を出して、于毒等の本拠地を攻めることで、東武陽を救うことができる、と言って西方に向かい、于毒の本拠地を攻めたんじゃよ。囲魏救趙についての簡単な説明は以下を見てくだされい。
これにより于毒は東武陽を放置し、本拠地に引き返したんじゃ。この時曹操は待ち伏せを行い、眭固の軍勢をさんざんに打ち破ったんじゃ。
そしてそこからぽっかりと空白期間ができるんじゃ。そして次に眭固の名前が出てくると、彼は張楊の部下になっておったんじゃよ。恐らく曹操に敗れた後北に戻らずに西に流れたんじゃろう。
張楊配下から袁紹配下へ
献帝が洛陽に戻ってきた時に、洛陽周辺の治安維持のため、周辺の人間達に協力を求めたんじゃ。それこそ賊とか関係なくのう。韓暹のような白波賊の将もおったんじゃよ。恐らく眭固もこの前後ぐらいに、河内で人材を必要としておった張楊に仕えるようになったんじゃろう。
張楊は呂布と仲が良く、曹操と戦っている呂布の救援はできんかったが、声援を送りたいと出兵したんじゃ。しかしこの時張楊の将の楊醜が張楊を殺害して曹操に付いたんじゃよ。しかし眭固は楊醜を認めず彼を殺害し、その軍勢を以って袁紹の配下に入ったんじゃ。なかなかカオスな展開じゃな。
袁紹は眭固を射犬の地に駐屯させたんじゃ。射犬は司州の河内郡にあるんじゃよ。河内郡は元々張楊がおった土地じゃから、袁紹はそちらにも己の影響力を及ぼそうとしておったんじゃな。
『典略』によると、射犬に駐屯した時に、巫の一人が「将軍(眭固)の字は兎であるのに、この村の名前は犬が付く。兎と犬が出会えばびっくりするのが当然。他の場所に移るべきです」と進言したんじゃが、眭固は聞き入れんかったんじゃな。
そして199年曹操は史渙と曹仁(更にこの部隊には于禁と楽進、徐晃も参戦しておったらしいんじゃ。)に眭固を攻めさせたんじゃ。眭固は張楊の元長史の薛洪と張楊の後に河内の太守となっておった繆尚を留めて守らせたんじゃ。
自身は北へ向かい、袁紹に救援を要請しようとしたんじゃが、史渙・曹仁と犬城にて遭遇したんじゃ。この時に史渙と曹仁は眭固をさんざんに撃ち破り、眭固は斬られたんじゃよ。結果的に巫の言ったとおりになった訳じゃな。
さて、続いて能力評価じゃな。今回は・・・三国志14とワシ評価じゃな。
能力評価
眭固は黒山賊の頭として、冀州で暴れまくっただけでなく、張楊が殺害された時には楊醜を殺害している等、恐らく武勇に優れていたと考えられ、軍事を高めとしておるんじゃ。
その一方、戦術的には曹操の策に嵌って敗北を喫し、また曹仁らの攻撃にも耐えられず、斬られていることから防衛面や知略、政治は抑えめの評価としたんじゃ。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は眭固じゃな。
コーエーテクモさんのは政治が凄いことになっていますね。
うむ、ワシでもこれだけ低い政治はなかなか付けられんのう。
それにしても最後、射犬での戦いは敵の顔ぶれが凄いことになっているんじゃないですか?
そうじゃな、史渙が一番マイナーじゃろうが、彼も実は夏侯惇伝に付伝されておる、優秀な人物なんじゃよ。
でも演義ですと皆あまり目立たないですね。そんなに強いんでしょうか?
うーむ、演義で言うなら五虎将をまとめて相手にするような感じ、と言えばヤバさが分かるかのう?
う、それは確かに凄そうな感じですね。眭固は相手が悪かった、と言うことですか。
うむ、その内魏の将軍たちの紹介もできると思うが演義のイメージでおると、え、こんなに?となるかもしれんぞい。
そんなに凄いのですか、ちょっと楽しみですね。
まあそうは言ってもこう言った敗れる者達がいるからこそ、勝者の武もより輝くと言う面もあるからの。
そうですね。三国志はそう考えると、互いが勝者でも敗者でもある、と言うのが面白さの秘訣なのかもしれないですね。
うむ、眭固も敗れたとは言え、その武に見るべき要素はありそうじゃし、こういう人物がポツポツおるから面白いんじゃよ。
さて、今日はここまでじゃな。次もまた見てくれると嬉しいぞい。
次も見てくださいね、それではまたです。