さて、今回紹介する人物は鄧羲じゃな。鄧義とも書くようじゃ。字と生没年は不明じゃな。彼は劉表とは折り合いが悪く、名がほとんど残らんかったようじゃな。
さて、今回紹介するのは鄧羲じゃな。
上で劉表とは折り合いが悪かったとなっているのが気になりますね。
うむ、その辺りを順々に見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、張允じゃが『劉表伝』他にポツポツと彼の記録が見られるのう。
丁度献帝が許に遷都された時のことじゃ。
劉表は使者を派遣して、貢物を献上することはしておったんじゃ。当然この時献帝は曹操の庇護の下におる訳じゃが、その上で劉表は袁紹との同盟も維持しておったんじゃよ。
当時治中であった鄧羲はこの行為を諫めるんじゃが『漢晋春秋』によると、劉表は鄧羲に応えて言うんじゃ。
「内(朝廷)に対しては貢物の献上を怠らず、外に対しては盟主(袁紹)を裏切らず、これこそ最も筋の通った天下の道義である。治中(鄧羲)一人がどうしておかしいと思うのだ。」
鄧羲殿は恐らく、曹操と袁紹どっちつかずの対応はまずい、と言いたかったのだろうが、当時の劉表は、曹操を袁紹の子分ぐらいにしか見ていなかったのかもしれないな。
劉表が鄧羲の意見を聞き入れなかったことにより、鄧羲は病気を口実に官を辞して、劉表が亡くなるまで二度と任官しなかった、とあるんじゃ。
後に曹操が荊州を制圧した際、蒯越らと並んで鄧羲は侍中に任じられた、と記載があり、荊州を代表する人物の一人として扱われていたことが伺われるんじゃよ。
ただ、これ以降の鄧羲の動向は不明なので、人物紹介はここまで、続けて能力評価と行こうかの。彼はワシ以外じゃと三国志14に登場じゃな。
能力評価
鄧羲は曹操と袁紹の関係性を見抜き、どっちつかずの対応をするのはまずい、と見た先見性の高さから、知謀を高め賭したんじゃよ。
ただ意見が入れられないと官を辞して任官しようとしなかったような頑固さから政争にはあまり向いておらず、政治能力は少し抑え目の評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、鄧羲の能力評価じゃな。
ふむ、政治と知謀が逆だが、比較的似たような評価と言うことだな。
師匠の方が政治少し抑え具合が大きい感じですね。
そうじゃな、政治的にはもう少しうまく立ち回れる道もあったのではないか、と言うい印象があるからのう。
さて、鄧羲についての評価はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰ろう。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。