さて、今回は劉瑁の紹介じゃな。劉焉の三男にして、その人物像には色々と謎の多い人物でもあるようじゃな。それでは劉瑁について見ていくとしようかのう。
さて、今回は劉瑁の紹介じゃな。
上で謎と書かれていますが、それは劉璋との関係と言うことでしょうか。
まあ、そう言うことじゃな。何故劉焉の後継者が兄である劉瑁でなく、劉璋であったのか。その辺りについて見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて、劉焉がが益州に入った時のことじゃが、劉焉の息子の内、劉瑁の兄の劉範・劉誕と弟の劉璋は献帝の側近くにおり、別部司馬の劉瑁のみ劉焉の側に従っていたんじゃよ。
劉瑁のみが劉焉の近くにいた理由が良く分からんな。年齢は劉璋の方が下な訳だから、若年である、と言うことは理由にならんはずだからな。
丁度この頃、呉懿の妹が人相見によって、たいそう高貴な身分になるに違いない、と言う評判を劉焉は聞いたんじゃよ。
すると劉焉は劉瑁に期待しておったのか、自ら劉瑁を連れて訪れ、かくて劉瑁のために娶った、とあるんじゃよ。
高貴な身分に上ると言うことが理由で、劉瑁に娶らせたのであろうから、劉焉自身は劉瑁を自身の後継者と思っていたのかもしれん。
じゃが、劉焉亡き後、州の大官の趙韙等は劉璋のの人柄が温厚なのを自らの利益になると考え、劉璋のを後継者となるよう動くんじゃよ。
さて、その後の劉瑁じゃが、曹操が荊州に侵攻した際、劉璋は遣いをやって曹操に敬意を表したんじゃが、この時に劉璋には振威将軍の名称を、そしてその兄の劉瑁に平寇将軍の名称を与えたんじゃ。
じゃが、この頃劉瑁は精神病によって亡くなった、とのことなんじゃ。
もしかしたら精神を病んだことによる自死なのかもしれないが、その辺りの状況と精神を病んだ要因までははっきりしないのう。
最初は劉焉の期待を受けていた人物じゃからのう。後継者になれなかったことのストレスなどがあったのかもしれんがここは分からんのう。さて、続けて能力評価と行こうかの。彼は鄭問三国志以外に登場じゃな。
能力評価
劉瑁はもしかしたら劉焉の後継者として大きな期待を寄せられるほど、素質の優れた人物であったのかもしれん。じゃが記録に残っていない以上は高い評価に結び付けることはできんかったんじゃよ。
ちなみに劉瑁の妻は後年劉備の后となり、呉懿は親族として蜀において重きをなす立場となったんじゃよ。高貴な身分とはこちらのことを暗示しておったんじゃろうな。
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雑談ぢゃ
さて、劉瑁の能力評価じゃな。
ふむ、さすがにどの作品も高い評価と言う訳にはいかなかったか。
評価するには実績があまりなさすぎですからね。それにしても師匠、本当に劉焉は劉瑁に期待して、呉懿の妹を娶らせたのでしょうか。
そこは分からんのう。そもそも高貴な身分になる、と言うのが実際にあった話なのか、それとも後に劉備の皇后になるという結果ありきで鹿が創作したものかがはっきりせんからのう。
良くある英雄誕生時の逸話等と同じかもしれん、と言うことだな。
そう言うことじゃな。英雄と呼ばれる人物は大抵生まれた時に何らかのエピソードが付けられるが、それと同じだったかもしれんからのう。さて、劉瑁の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。
よし、劉瑁の紹介も終わりだな、俺も一旦帰るか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。