三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

趙韙(ちょうい) 字:不明(?~?)

さて、今回は趙韙の紹介じゃな。字や生没年は不明じゃが、恐らく益州では相当影響力のあった人物のようなんじゃ。そして彼の行動は後の益州騒乱の先鞭をつけた人物だったんじゃよ。じゃが一の矢は届かず、と言ったところであろうか。

 

さて、今回は趙韙の紹介じゃな。

どうも、張郃だ。益州を代表する実力者であったのに、その最後は悲惨であったな。 

彼も演義では出てこない人物ですよね。そこまで重要な人物であったのでしょうか。

そうじゃな。後に張松や法正が劉備益州を取らせようと画策しておるんじゃが、劉璋との間の確執は趙韙の時代からすでに起こっておったことなんじゃ。

人物紹介

劉焉に従い入蜀

蜀志『劉焉伝』によると、劉焉が州牧として蜀に向かうことになった際、太倉令の趙韙も官を捨てて、劉焉に従った、とあるんじゃ。その後、劉焉が亡くなると、州の大官であった趙韙等は劉璋の人柄が温厚なのを自らの利益になると考え、共同して劉璋益州刺史とするよう上書したんじゃよ。

劉焉の後継者問題で名前が出てくるあたり、間違いなく益州劉焉政権下における重要人物であったことは確かだな。

この後詔勅が下り、劉璋は監軍使者として益州牧を兼任させ、また趙韙を征東中郎将に任命するとともに劉表を攻撃するように命じたんじゃ。

劉表への攻撃命令は良く分からんな。この時の朝廷は李傕達の政権で、劉表は別段彼等と敵対はしておらん。もしかすると曹丞相の時代に移っていたのかもしれないな。

ちなみにこの頃か少し後『英雄記』によると、劉璋に反逆した将軍が何人かおったんじゃが、敗北して逃走して荊州に逃げておるんじゃ。

劉璋は趙韙を派遣して彼らを攻撃させた、とあるんじゃが、この劉璋に反乱した将の中にはあの「甘寧」がいたりするんじゃよ。

劉璋政権下にて

さて、劉璋に代が変わってからが大変だったんじゃよ。

蜀志『劉璋伝』の裴松之注『英雄記』によると、これより少し前南陽・三輔の人々が飢饉等により、数万家族も益州に流れ込んできたんじゃが、劉焉は彼等から選抜兵を組織し、「東州兵」と名付けたんじゃ。

じゃが劉焉時代はともかく、劉璋時代になると、劉璋は性格が優柔不断で威厳がなく、東州人が在地の住民を侵害することになっても取り締まることができず、政令にも欠けることが多かったので、益州の住民は随分怨みに思っておったんじゃ。

これは何時どこでも起こり得る問題だな。古くからいる住民は蔑ろにできんし、かといって新たに流入してくる住民を拒むこともできん。どう折り合いをつけ、きちんと住み分け・融合できるか、為政者の器量が試されるところだな。

じゃが、この問題をあろうことか、劉璋は趙韙に丸投げしてしまったんじゃ。

恐らく劉璋は趙韙が人心を掴んでいたから、趙韙に任せようと思ったのえあろうが、丸投げされた趙韙にしてみればたまったものではなかったであろう。

ましてや趙韙は巴西の人物であり、どうしても現地人に対して同情的になったであろう。恐らく趙韙自身、何度もこの問題について進言したんであろうが、劉璋は決断することができなかった、そして丸投げをしてしまった、と言うところであろう。

この辺り劉璋の柔弱な性格が見て取れるな。決断力も無いことで配下が苦労する状況だ。

趙韙の反乱

ここに至り、趙韙は劉璋に見切りをつけ、反旗を翻すことを決断するんじゃ。

荊州方面には賄賂を送って和睦を請い、ひそかに州内の豪族と手を結び、彼等と共に兵を挙げ、劉璋を攻撃したんじゃ。

蜀郡、広漢郡、犍為郡は皆趙韙に呼応したんじゃ。劉璋もさすがにこの時の危機には素早く反応し、成都に馳せ入って固守したんじゃよ。

趙韙にとって誤算だったのは、東州兵達の結束力であろうな。彼らは、もし劉璋が敗れた場合自分達もタダでは済まない、と趙韙のことを恐れ、皆心を一つにして力を合わせて劉璋を助け、誰も彼も必死になって戦った結果、趙韙の派遣した軍を撃破し、進軍して江州にいる趙韙を攻撃したんじゃ。

ここに至り趙韙軍は内部から反乱者が出てしまい、趙韙も斬殺されてしまうんじゃよ。

荊州と連絡し、豪族と手を結び劉璋を攻撃するところは後の劉備益州取りにも通じる行動じゃな。東州兵が想像以上に強かったのが残念なところじゃ。それでは、続けて能力評価と行こうかの。彼はワシ以外では天舞さんに登場しておるようじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 趙韙(20歳)  95 105 70 100
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
 趙韙(45歳)  128 139 101 134

 

趙韙は劉焉・劉璋政権下における重要人物であり、軍事的にも政治的にも非常に重要な役割を担っていたと考えられることから、統率と政治が斗君高い評価となったんじゃよ。

秘密裡に内乱を画策したのも見事じゃが、東州兵の実力を見誤ったことや君主としての劉璋の資質を見抜けなかったため、知謀は多少抑え目な評価となったんじゃよ。

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 呉懿  2 8 5 7 2 7

 

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雑談ぢゃ

さて、趙韙の能力評価じゃな。

劉焉と比較してもそう劣らないぐらい高い能力値であるな。益州政権における重要人物なのは確かだな  

突出した能力がある訳ではありませんが、かなりバランスが取れていますね。それだけに便利遣いされてしまった、と言うことでしょうか。

記録は残っておらんから断言はできんが、軍事と政治両輪とも任されておったようじゃからな。やりがいがあればそれでもよかったのであろうが。 

結局責任も含めて丸投げされているような状況であるからな。これではやっていられなかったであろう  

張郃殿もその辺りでだいぶ苦労されたお方じゃからのう。さて、趙韙の紹介はここまでじゃが、如何じゃったろうか。良ければ次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るか、またよろしくな。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。