さて、今回夏侯惇の子である夏侯子江について見ていくとしようかのう。彼は正史本伝には名前が見えてこない人物で、名もはっきりしない人物なんじゃよ。
さて、今回は夏侯子江と言う人物の紹介じゃな。夏侯惇の子供の一人じゃな。
名は分からないようですが、字が子江と言うのは間違いないのですか?
うむ、夏侯惇の息子の夏侯楙は字を子林と言う。同じ子が使われていることから、子江が字と見て間違いあるまい。
なるほど、彼も名前をあまり聞いたことがないのですが、実績のない人物と言うことでしょうか。
そうじゃな。彼も本伝の方には名前が見えてこず、『魏略』を見ると、ちょっと残念な形で名前が残っておるんじゃよ。早速見てみるとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『夏侯惇伝』の裴松之注『魏略』によると、彼の兄の夏侯楙が関中に在任中、多くの家妓・側妾を抱えており、このことが原因で清河公主とは不和になったんじゃ。
そんなある時、清河公主によって罪状を上奏され、夏侯楙が逮捕される事態が発生したんじゃよ。
時の皇帝であった明帝は、この際夏侯楙を処刑してしまおうか考えるんじゃが、臣下の段黙がこれはでっち上げにちがいない、と進言して思い留まるんじゃ。
そこで、誰が清河公主のために上奏文を書いたか調査したところ、夏侯楙の弟の夏侯子江の名前が挙がったとのことじゃ。
しかもこれは、夏侯楙の弟たちに礼を踏みはずした振る舞いがあったことを、夏侯楙にしばしば叱責され、処分されることを恐れてのことなんじゃよ。
何とも情けない理由ででっち上げを行ったものだな。夏侯楙の叱責がまるで身に覚えのないものであるならともかく、これでは夏侯惇殿も浮かばれない。
悪だくみで夏侯楙を追い落とそうとしていることから、知謀は少し高めなのですね。
とは言え、礼に失した行いがあり、夏侯楙に叱責されていることなどから、他は抑えめなのだな。
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簡単解説
それにしても・・・本当に夏侯惇の一族はこれと言った人物が出てこないですね。
夏侯子江に関してはいくら何でも、と言う感じだな。理由が情けなさすぎる。
夏侯楙もあまり評判は良くないんでしたよね。
演義では散々な評価だからな。ただ、意外と弟たちの礼に失した行動を𠮟責しているなど、個々の判断は普通じゃないかと思えるな。
まあ、夏侯楙についてはまたそのうち語ることもあるので、そのうちじっくり見ていくとしようかのう。さて、夏侯子江についてはこの辺りで終わりじゃな。
よし、それでは俺も帰るとしよう。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。