三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

夏侯子江(かこうしこう) 字:子江(?~?)

さて、今回夏侯惇の子である夏侯子江について見ていくとしようかのう。彼は正史本伝には名前が見えてこない人物で、名もはっきりしない人物なんじゃよ。

 

さて、今回は夏侯子江と言う人物の紹介じゃな。夏侯惇の子供の一人じゃな。

名は分からないようですが、字が子江と言うのは間違いないのですか?

うむ、夏侯惇の息子の夏侯楙は字を子林と言う。同じ子が使われていることから、子江が字と見て間違いあるまい。 

なるほど、彼も名前をあまり聞いたことがないのですが、実績のない人物と言うことでしょうか。

そうじゃな。彼も本伝の方には名前が見えてこず、『魏略』を見ると、ちょっと残念な形で名前が残っておるんじゃよ。早速見てみるとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 夏侯子江(20歳)  45 15 60 30
 ↓ ↓ ↓ 
 夏侯子江(45歳)  73 40 90 57

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志夏侯惇伝』の裴松之注『魏略』によると、彼の兄の夏侯楙が関中に在任中、多くの家妓・側妾を抱えており、このことが原因で清河公主とは不和になったんじゃ。

そんなある時、清河公主によって罪状を上奏され、夏侯楙が逮捕される事態が発生したんじゃよ。

時の皇帝であった明帝は、この際夏侯楙を処刑してしまおうか考えるんじゃが、臣下の段黙がこれはでっち上げにちがいない、と進言して思い留まるんじゃ。

そこで、誰が清河公主のために上奏文を書いたか調査したところ、夏侯楙の弟の夏侯子江の名前が挙がったとのことじゃ。

しかもこれは、夏侯楙の弟たちに礼を踏みはずした振る舞いがあったことを、夏侯楙にしばしば叱責され、処分されることを恐れてのことなんじゃよ。

何とも情けない理由ででっち上げを行ったものだな。夏侯楙の叱責がまるで身に覚えのないものであるならともかく、これでは夏侯惇殿も浮かばれない。 

悪だくみで夏侯楙を追い落とそうとしていることから、知謀は少し高めなのですね。 

とは言え、礼に失した行いがあり、夏侯楙に叱責されていることなどから、他は抑えめなのだな。 

 

 ↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい

 

簡単解説

それにしても・・・本当に夏侯惇の一族はこれと言った人物が出てこないですね。

夏侯子江に関してはいくら何でも、と言う感じだな。理由が情けなさすぎる。  

夏侯楙もあまり評判は良くないんでしたよね。

演義では散々な評価だからな。ただ、意外と弟たちの礼に失した行動を𠮟責しているなど、個々の判断は普通じゃないかと思えるな。

まあ、夏侯楙についてはまたそのうち語ることもあるので、そのうちじっくり見ていくとしようかのう。さて、夏侯子江についてはこの辺りで終わりじゃな。

よし、それでは俺も帰るとしよう。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。