さて、今回は王一族最後の砦、王明山の紹介じゃな。彼は王淩の末子であり、優れた兄弟たちの中でも一番有名だった、と言うことなんじゃよ。さて、そんな王明山とはどんな人物だったのか、見ていくとしよう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は王明山の紹介じゃな。王淩の末子に当たる人物じゃ。
上で一番有名だった、とありますが何か逸話があるのでしょうか。
底知れぬ素質を感じられる人物であった。それだけに若くして亡くなったのは惜しかったな。
父の罪に連座させられる形じゃからのう。せっかくの才能がそれでつぶれるとは・・・と嘆いても仕方ないの。それでは王明山について見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
統率・知謀・政治
王明山も当然のことながら、王淩伝のところに記述が見えるようじゃな。
王淩の末子は字を明山と言い、兄弟の内で一番有名であった。書が上手で多彩な技芸の持ち主であった。彼の書を手に入れた人は、皆それを手本とした。(『王淩伝』裴注『魏末伝』)
確かに優秀そうなかんじですね。ただ軍事の高さの説明は一切ないですよね?
それは次で語られるはずだな、早速見ていくとしよう。
軍事
(王淩の罪が明らかになった後、王明山は)逃走して、太原に向かったが、追っ手の軍に追いつかれた。
その時、飛んできた鳥が桑の木にとまり、枝の揺れるに任せて上下していた。明山は弓を取り上げてこれを射、即座に射殺した。
追っ手は(それを見て)立ち止まり、それ以上進まなかった。(『王淩伝』裴注『魏末伝』)
動いている標的を射抜き、その腕前を知らしめて、追っ手を止める、と言うのは追っ手に射かけるよりもすごみお感じさせますね。
お主の師匠はこの神技を呂布並みの凄さ、と捉えたのではないかな。書も良くし、武芸にも秀でた風雅の才をあわせ持った人物だったのではないか。
最後は親しい家に立ち寄ったところで、密告され捕縛されてしまったようだ。何とも残念な話だ。
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簡単解説
天舞三国志の方では武勇はあまり高くないのですね。
書を良くした、と言うことの方をより重要視したのであろう。それと天舞の場合も武将数は数百人がせいぜいであるから、誰も彼も能力を高くはできない事情もあるのだろうな。
こちらはその十倍ぐらいの人物が登場するからのう。実績のある武将をある程度高めに評価するとしても、良将とそれ以外、史書には名前だけしか登場しないような武将との比率が大きく崩れるわけではないのが強みじゃな。
さて、そんなところで王一族はここまでじゃな。次は雍・涼州を席巻したあの一族の登場じゃ、と言ったところで、今回はここまでじゃな。どの一族が来るか、楽しみにしてくだされ。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。