三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

周胤(しゅういん) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは周胤じゃな。彼は周瑜の息子であるが、素行の悪さ故に平民に落とされてしまった人物じゃ。じゃが諸葛瑾や歩隲等の尽力により、彼の罪は許されたんじゃよ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は周瑜の息子、周胤の紹介なんじゃな。

罪を犯して平民に落とされた、と言うことから不肖の息子であった、と言うことでしょうか?

史書に書いてある記述のみを信じればそう言うことになるな。 

??張郃さんにしては珍しく奥歯にモノが挟まったような物言いですね。

正直なところはどうだったのだろう、という感想にしかならない話だからな。詳しくはお主の師匠がしてくれるだろう。 

そうじゃな。能力評価と共に、ちょっとその辺りの解説も行っていくとしようかのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 周胤(20歳)  65 90 55 45
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 周胤(45歳)  95 128 84 73

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

統率

不肖の息子と思われる周胤じゃが、彼を救おうとした人間は存外多いんじゃな。

周胤ははじめ興業都尉に任ぜられ、皇室の女性を妻に娶り、兵千人を授けられて、公安に駐屯した。

黄龍元年(229年)都郷侯に封ぜられたが、後に盧陵郡に配流された。

赤烏二年(239年)、諸葛瑾と歩隲とが連名で上疏し、更に諸葛瑾と歩隲の上表が引き続いて上呈され、朱然や全琮も周胤の罪を赦して欲しいとの上表をしたので、孫権はやっと赦すことを認めた。(『周瑜伝』)

私でも名前を知っている呉の重鎮が揃って周胤を赦すようにと言うのは少し驚きですね。

それだけの人望があったから統率(魅力)を高くしたと・・・そう単純な話ではありませんよね。 

よく分かっているな、その辺りは次のところで説明があるだろう。 

軍事・知謀・政治

さて、気になるのは諸葛瑾たちが上疏した内容についてじゃな。まずは周胤がなにをしたか。これは孫権の言葉からの引用じゃな。

「~前略~

昔、周胤がまだ年若く、全く功労がなかった時、曲げて精兵を授け、侯の爵位と将帥の任とを与えたのは、公瑾(周瑜)殿の功績を忘れず、その気持ちを周胤にまで及ぼしたものであった。しかるに周胤は、これに心おごって、酒と淫乱にふけり、幾度も告げ諭したのであるが、全く心を改めることがなかった。」(『周瑜伝』)

これだけを聞くと非は完全に周胤にあるように思えますね。 

ただ、気になるのは諸葛瑾らの上疏だな。そちらを見てみよう。 

「~前略~

どうか陛下には、恭み深く道理に精通され古に則られる恩徳を以て、諸侯の国を興しその後継ぎを盛り立てられると言う道を隆んにされて、周胤の弁解もお聞きくださり、有り余る罪のお赦しを請うのを容れられ、再び兵士を授け爵位も元に戻されて、夜明けを告げ損ねた鶏にももう一度鳴く機会を与えられ、罪を得た臣下にも、もう一度手柄を立てる道をお開きくださいますように。」(『周瑜伝』)

なるほど、そもそもこの上疏の内容が、すごく奥歯にモノの挟まったような物言いになっているのですね。 

本当に周胤が問題児であったとすれば諸葛瑾も歩隲もここまでは言わないのではないか。それも兵を授けるだけでなく、いきなり爵位も元に戻してやれ、と言っている。 

通常であれば、実績を積んで段階を踏んで、そこから爵位等を元に戻してやれば良いと思うのですが、そうでないと言うことは実は周胤には非がなかったのかも、と言うことですか? 

そこまでは断言できないが、一つ面白い記録がある。それはこの上疏は239年の話だが、その前年、238年に呂壱と言う人物が処刑されている。 

呂壱・・・確か苛烈に法を適用して多くの重臣を摘発していた人物でしたでしょうか? 

彼の場合は、更に些細な罪でもそれを過剰に弾劾する、と言う側面もあった。本来ならこのような無法な人物はすぐにでも排除されるべきなのだが、孫権の寵愛を受けていたから、彼はやりたい放題であった。 

なるほど、読めてきましたね。つまり呂壱が238年に処刑されたことで、彼によって本来なら罪をかぶるべきでなかった人物達を救おうと、周胤はその内の一人であったのかもしれない、と言うことですね。 

何度も言っているが実際のところは分からん。

ただ呂壱によって、本来なら被るべきでなかった罪を受けた臣下がいたのは確かで、周胤をいきなり兵も爵位も元に戻せ、と言うのも相応の理由がありそうには感じるな。 

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 周胤  50 56 45 22 19

 

天舞~三国志正史~(Max.16)
   武勇   采配   策謀   政治   外交   人徳 
 周胤  4 3 2 3 2 3

 

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簡単解説

他の出演している二作品はやはり評価が低いですね。

史書を素直に読んでいけば、これらの評価が全うではあるかもしれんな。お主の師匠は深読みしたがる癖があるからな。  

ですがもしかしたら本当に不当に貶められていたかもしれませんし、その可能性があった、と言うことだけでも示すのは良いのではありませんか。

まあ、もしかしたら他の人物の記録を紐解いていったら、ワシの考えが大間違いであった可能性もあるからのう。ここがマイナーなサイトで好き勝手言えるのは助かるわい。

さて、そんなところで今回はここまでじゃな。

よし、それでは今日のところは帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。