さて、今回は袁紹の息子である袁譚の紹介じゃな。字は顕思、生年は不明、没年は205年じゃな。
彼の紹介を行っていくぞい。
人物紹介
青州の統治時代
袁術が陳で行き詰っておった時に袁譚が人をやって、袁術を迎えに行ったんじゃ。
じゃがこれは途中徐州におった劉備と朱霊に遮られておる。そして袁術を受け入れることができない間に、袁術は亡くなってしまったんじゃよ。
続いて官渡で袁紹と一緒に戦った時、最後に曹操に敗れた時に袁紹と袁譚が共に退却した、と書かれておるんじゃ。
そして袁紹が死んだ後、いや死ぬ前からかのう、問題が起こるんじゃ。袁紹は幽州、冀州、青州、并州を抑えておったんじゃが、青州に長男の袁譚、幽州に次男の袁煕、并州に外甥の高幹を配して統治させておったんじゃ。袁紹自身の本拠地冀州には三男の袁尚がおったんじゃな。
こう言うのは息子たちを並列で立てておると、ろくなことが起こらんもんじゃ。息子たちに争う意思がなくとも、取り巻きの連中はそうはイカン。主流から外れた連中は絶対不満を持つものじゃ。当然それがお家騒動に発展するんじゃよ。
ちなみに「九州春秋」によると、袁譚は当初青州の都督であった、とは言っても当初平原国を所有(191年頃平原国は青州所属)しておるのみじゃったんじゃ。そこから田楷を蹴散らし、孔融を攻撃して支配地域を広げたんじゃよ。なかなか優秀じゃのう。
その後袁譚は小人を信任し、卑近な言葉を好み、思い通りに振舞って奢侈淫蕩に溺れた、とあるが、これはどこまで信用していいのか分からんのう。前半の田楷達を蹴散らす記述に比べてあまりにもふわっとした抽象的な言葉じゃからのう。他にもちょっと首をかしげたくなるような部分があるし、話半分ぐらいに聞いておくほうが良かろうな。
冀州の支配権をめぐって
袁紹が亡くなった後、袁譚は黎陽に駐屯しておったんじゃが、曹操は202年秋に袁尚と袁譚を攻撃しているんじゃ。この時は撃破され、退却しておる。
その後、賈信と言う武将を黎陽に駐屯させ、曹操が許に退却すると、袁尚と袁譚は冀州の支配権をめぐって争い始めたんじゃ。
しかし、裴松之の注釈で袁譚は家を出て伯父の家を継いでいた、とある。この伯父は誰を指しておるんじゃろうか。「漢晋春秋」による審配から袁譚に宛てた文書によると、「袁譚は廃嫡されて兄の袁基の後継ぎとなり、袁紹のことも叔父(父母の弟)と呼んでいたことは皆承知しているではありませんか。」と言及しておるんじゃよ。
これで言うと、後継者は最初から袁尚に決まっておったと言うことじゃな。袁譚もそれは分かっておったはず。じゃが取り巻きはそれでは済まない、と言うことなんじゃろうな。袁譚はこの審配の文書を受け取ると涙を流した、とあるが郭図に圧されて結局戦いを継続するしかなかった、とある。
どうも烏巣の時の進言と言い、郭図が元凶のように思えてくるのう。
結局袁譚は袁尚には勝てず、曹操に降伏して援助を求めてきたんじゃ。これはどうなんじゃろうなあ。さすがに悪手と思えるがのう。袁煕のように控えめ(?)な性格であれば、生き延びられたかもしれんが、冀州の領有を目指す袁譚では、いずれ曹操と衝突するのは目に見えておる。どちらも相手を利用する気満々なのはいろんな史書にも書かれておるしのう。
とは言え、この後、相手を袁尚一人に絞った曹操は袁尚を破り、鄴を陥落させておる。
袁譚は袁尚が敗れるとシナリオ通りに冀州の各地を攻めて、袁尚の兵を吸収していっておるんじゃ。じゃがこれを読んでいた曹操は、約定を破っていると袁譚を責め、当初予定していた姻戚関係も解消し、攻撃したんじゃよ。
最後は南皮に籠る袁譚を曹操は攻めるんじゃが、さすがに袁譚も後がないからと必死に守り、かなり粘っておったんじゃ。この時の抵抗はかなり激しかったようで、曹純の伝の所に曹操側にも多数の犠牲が出ておった、と書かれておる。じゃが弱気になる曹操を曹純が励まし、激しく攻め立てて遂に袁譚を破ったんじゃ。
最後袁譚は曹純率いる直属の騎兵隊(虎豹騎)に斬られたんじゃよ。
と言ったところで袁譚の紹介は終わりじゃ。さて、能力評価はどんなもんじゃろうな。今回は3作品全てに出ているぞい。
能力評価
袁譚は青州を支配するのに自ら田楷や孔融を攻め、実力で青州の支配を勝ち取っておることから軍事力を評価しておる。
政治面では酷評もあるが、敗者側と言うことで必要以上に貶められている気もするんじゃ。まあ曹操に降伏したのは悪手と思い、知謀は抑えめじゃがな。これだけの能力があって、袁尚と協力出来ておれば・・・と思うぞい。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は袁紹の長男、袁譚じゃな。
そう言えば、袁譚の政治云々はどうなんですか?
うむ、まあ敗者は大概悪く言われるのが一つ。そして袁譚の配下に王脩と言う人物がいるんじゃ。かなり優秀な人物で、後に魏の名臣になっておる。
彼に対する袁譚の処遇は決して上で非難されているようなものとは違うと思うんじゃよ。確かに王脩を使いこなせていた、とは言えんが、少なくとも王脩は彼に心服していた、と思えるんじゃ。
王脩は袁譚が敗死したことを聞くとその亡骸を引き取って埋葬したいと曹操に願うんじゃ。そしてそれがかなえば自分は死刑になっても悔恨しない、と言うんじゃよ。
あ、このパターンはもしかして。
うむ、そろそろお主も分かってきたのう。曹操はこういう人物が大好きなんじゃ。王脩の願いを聞き届け、後に王脩を登用しておるんじゃ。
うーん、それだけの人が命を賭して袁譚の亡骸を引き取った、と言う話を聞くと、やはりでたらめな政治をしていた訳ではないんじゃないでしょうか。
そうじゃなあ、まあ目立った善政をしておったとは言わんが、普通に優秀な人材を取り立て、それなりの統治が出きておった、と思えるのう。
師匠以外のゲームの評価はやはりちょっと辛目ですかねえ。
そうじゃなあ、政治とか知謀は見る視点で評価も変わってきそうじゃが、軍事面が全体的にちと低いかのう。まあワシも深読みのしすぎかもしれんがの、ほっほっほ。
さて今日はここまでかのう。次もまたよろしく頼むぞい。
次もまた見てくださいね、それではまた!