三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

陳宮(ちんきゅう) 字:公台(?~198)その1

陳宮、字は公台と言うんじゃ。生年は不明じゃが没年は198年じゃな。

彼は曹操初期の参謀として演義でも重要な人物じゃな。しかし彼が曹操に背き、何故呂布に付いたのか。正確なところは良く分からんのう。

彼の事績からその辺りが読み取れないか、見ていくとしようかの。

  

さて、今回は陳宮じゃな。彼は有名じゃからお主も知っておるじゃろう。

そうですね、曹操に従いながらも演義では呂一家の殺人現場を見て、曹操を救ったことを後悔しているんですよね。

うむ、まああれは演義の創作で、一家殺害の件も史書に書かれておるが、正当防衛の話もあったりじゃからな。正直陳宮の裏切りの要因ははっきりしないんじゃよ。

事績から読み取れると良いですね。早速紹介をお願いします。

今回はそれなりに量がありそうじゃから、二回ぐらいに分けるとしようかの。

人物紹介

若い頃の陳宮

陳宮は東郡の人で、剛直にして気迫に満ちた人物であった、と言うんじゃ。若い時から天下の著名な人物たちと交わりを結んでいった、とあるんじゃよ。

天下動乱の世になってからは曹操に従っておったようじゃな。

『世語』によると、劉岱が亡くなった時、陳宮曹操に対して言ったんじゃ。

兗州には現在主がおりません。しかも天子からの命令は断ち切られております。私は州内を説得したいと存じます。明公(との)は後からいかれてその地を治めてください。それを元手として天下を収集なさいませ。これこそ覇王の業です。」

そうして陳宮は別駕や侍中を説得したんじゃ。

「今、天下は分裂しているのに、兗州には主がいない。曹東郡太守は予に名だたる才能の持ち主ですぞ。もし迎え入れて州を治めさせれば、民草を鎮めるに違いありません。」

鮑信らもこの意見に賛同したんじゃな。そしてこの内容を見ると、陳宮兗州を如何に治めるかに腐心しておったようじゃの。

曹操に対する疑心?

じゃがその後陳宮呂布を引き入れ、張邈を説得して曹操に反旗を翻すんじゃよ。

この要因についてははっきりしないんじゃ。人によっては徐州虐殺が原因と言っておるが、ワシはそんなことが要因とは思わんのう。

ワシが一番可能性があるのは、張邈のところでも書いておるが、袁術との絡みの可能性が高いのではないか、と思うんじゃ。

陳宮は元々袁術派の可能性があるが、袁術が陳留に駐屯した時に、曹操袁術を撃退して追い出したことで、明確に敵対関係になってしまっておる。もし袁術派であったとするなら、陳宮にとっては困った状況だったのではなかろうか。

すぐ南の豫洲には袁一族の拠点があり、いかに曹操が優秀でも、兗州が地元である陳宮にとって、この袁一族の力を無視する訳にはいかない、と考えたのではなかろうか。

他にも荀彧が曹操陣営に属することで曹操の寵愛が荀彧に移ったことで、反旗を翻した、と言う説もあるが、そこまで陳宮の器は小さくないと思うんじゃよ。

まあ、正確なところは分らんのう。そして陳宮呂布を引き入れ、張邈を説得して呂布と共に曹操に対して反旗を翻すんじゃよ。

袁術と通じる陳宮

じゃが、当初こそ呂布曹操に勝利するものの、その後は曹操にやられ続けるんじゃよ。そして、史書の中に陳宮が、袁術と通じておるらしき話が出てくるんじゃよ。

事件が起こるのは196年のことじゃな。

『英雄記』によると196年6月のある夜に呂布配下の郝萌が反乱を起こすんじゃ。呂布は妻を連れて脱出し、高順の陣営に到るんじゃ。高順は「将軍、何か気づかれたことはありますか?」と問うと、呂布が「河内のなまりがあった。」と答えるんじゃ。

さらっと書かれておるが、訛りや発音に地方ごとの特徴が存在する、と言うことじゃな。文章ならともかく、会話で全然違う地域の人達が、意思を疎通させるのは難しかったかもしれんのう。

呂布配下の武将で河内出身者としては郝萌がいたことから、高順はすぐに反乱を起こしたのが郝萌であると判断し、即刻郝萌陣営に攻め込んでいるんじゃ。高順は非常に優れた指揮官なんじゃが、この辺りの判断力・実行力が半端ではないことが伺えるのう。

この高順の攻撃により、郝萌の軍は算を乱して逃走するんじゃ。そして郝萌の将の曹性が郝萌に背いて決闘するんじゃ。郝萌は曹性を斬りつけて傷を負わせるんじゃが、一方曹性も反撃で郝萌の片腕を切り落とすんじゃ。

追撃してきた高順は郝萌の首を斬り落とし、曹性は呂布の下に送るんじゃよ。

呂布が曹性に質問すると、郝萌が袁術の内意を受けていたと答え、更に呂布が「この計画を立てたのは誰と誰だ。」と質問すると「陳宮が共謀者です。」と答えたんじゃ。陳宮は顔を真っ赤にし、これにより陳宮袁術と通じて、呂布に反乱を起こそうとしていたことがはっきりするんじゃな。

じゃが呂布陳宮が大将であることから、不問に付した、と言うことなんじゃ。

ここもさらっと書かれているが、ここで処罰できないところに陳宮の権限の大きさ、ひいては背後に袁術の影があったんではなかろうか。

 

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雑談ぢゃ

さて、陳宮の紹介前半じゃな。

陳宮の話も謎が多いですね。呂布が反乱の一人と認識してるのに、処罰できないと言うのはちょっと普通じゃないですよね。

配下と言うよりも協力者、と言うような立場だと考えられるんかのう。そしてそれを可能にするのが背後に控える袁術なのかもしれんのう。

裏切った理由に関しても可能性の一つとしてはあり得るかもしれませんが、まだ他の可能性もありそうですね。

そうじゃな。さて次は陳宮の最後、そして彼が呂布に献策した内容、能力評価を載せていくぞい。次もまたよろしく頼むぞい。

次も見てくださいね、それではまたです。