さて、今回紹介するのは麋竺じゃな。
字は子仲、生没年は不明じゃな。劉備を支えた富豪じゃな。そんな彼の紹介をしていくとしようかの。
さて、今回は麋竺の紹介じゃな。
孫乾や簡雍とよくセットで出てくる方ですよね。文官としてそこそこの評価ですよね。
そうじゃな、諸葛亮や龐統のように国家戦略を担ったり法正のように謀議にあずかるタイプではないが、劉備の覇業を支えた重要な人物の一人じゃ。
劉備と覇業ってなんかギャップを感じますねw
まあ、きれいごとだけでは生きていけん時代じゃからな。隙を見せれば食われる、そんな時代じゃからある程度仕方あるまい、それでは早速紹介と行くぞい。
人物紹介
若き日の逸話
『捜神記』と言う書物に麋竺に関するちょっと変わったエピソードがあるんじゃ。この『捜神記』と言うのは世の不思議な出来事を伝える書物なんじゃな。麋竺の話もその類になるぞい。
かつて麋竺が洛陽からの帰途、家の手前数十里のところで、路傍に一人の婦人が立っているのを見かけたんじゃ。
彼女は麋竺に車に乗せてくれるように頼み、麋竺はそれに応えて乗せてやるんじゃな。
数里ほど行ったところで、婦人は礼を言って立ち去ったんじゃが、その時麋竺におかしなことを言ったんじゃよ。
「私は天の使いです。今、東海の麋竺の家を焼きに行くところでしたが、あなたが車に乗せてくれたので、それに感謝してお話しするのです。」
家を焼かれる、と聞いて仰天した麋竺は彼女にそれを止めてくれるよう頼むんじゃが、婦人は「焼かないわけにはいかないのです。だからあなたは馬を走らせて行ってください。私はゆっくり参りますから。真昼に火事が起こるはずです。」
そこで麋竺は急いで家に帰り、慌てて財宝を持ち出すと、真昼に大火が発、すんでのところで最悪の事態は免れた、と言う訳じゃな。
しかし、天の使いとはどんな人物だったんじゃろうかのう。
劉備への支援
さて、この麋竺じゃが、先祖は代々利殖に努めておったことで、麋竺の時代には小作人一万人を抱え、資産は莫大だった、と言うんじゃな。後に陶謙が招聘して彼を別駕従事に任じたんじゃ。州内でもかなりの有力者であった、と言うことじゃな。
陶謙が亡くなると麋竺は陶謙の遺命を受けて劉備を徐州の主として迎え入れるんじゃ。じゃが、劉備は呂布の攻撃を受け下邳を失い、妻子も捕虜にされてしまうんじゃ。
劉備は仕方なく広陵郡の海西に軍を移動するんじゃが、この時麋竺は妹を劉備の夫人として差し上げ、奴僕二千人、金銀貨幣を提供して軍費を助けたんじゃ。丁度この時劉備は困窮しておったんじゃが、これで何とか凌ぐことができるんじゃな。
『曹公集』によると、この時の上奏文は以下のようなものじゃな。
「泰山郡の領域は広大でして、古くから軽はずみな乱暴者が多いところです。一時的な処置として、五県を分離して嬴郡を立て、清廉な官吏を厳選して守将とするのがよろしいかと存じます。偏将軍の麋竺は平素から誠実さを守り、文武とも明らかでありますので、麋竺を嬴郡太守に任命して官民を慰撫させるようにお願い申し上げます。」
普通に曹操からも高い評価を受けておった、と言うことじゃな。
じゃが麋竺は官位を去り、そのまま劉備に付き従うようになるんじゃよ。
荊州以降の麋竺
劉備が荊州に赴こうとした時のこと、まず劉備は麋竺と孫乾を送って挨拶をさせておるんじゃよ。劉備はこの後麋竺を左将軍従事中郎に任じたんじゃ。
そして益州が平定された後、安漢将軍となるんじゃ。役職は麋竺より諸葛亮らのが上だったんじゃが、席次は諸葛亮より上位におったんじゃ。
将軍職をもらっておるが麋竺自身は軍や人を統率するのは不得手だったんじゃ。そのため彼自身は一度も軍を統率することはなかったんじゃな。
しかしそうでありながら、彼に匹敵するほどの恩賞や寵愛を受けた者はいなかった、とあるんじゃ。
しかし弟の麋芳が関羽と仲違いし、呉に寝返ってしまったことで事態は大きく変わるんじゃ。
麋竺は自ら後手に縛り、処罰を請うたが、劉備は兄弟の罪に連座することはないとさとし、以前と同様に厚遇したんじゃ。じゃが麋竺は恥と怒りのために発病し、一年余りで亡くなってしまった、と言うんじゃ。
麋芳も別に自ら望んで裏切った訳じゃなかろうし、こればかりは運が悪かった、と言えるのではなかろうかのう。
ともあれ麋竺の紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行くぞい。当然ながら、麋竺は全作品に出演中じゃぞい。
能力評価
麋竺は曹操も認めるほど清廉で郡太守としての力量が認められておったことから政治は高めじゃ。ただ軍略、政略方面で大きな実績を残しておる訳ではないので、知謀は抑え目じゃな。
そして麋一族は代々弓馬に達者であった、と言うことから軍事も高めじゃ。ただ麋竺自身は一度も軍を率いたことがないことから、統率は一番低い評価となるかのう。
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雑談ぢゃ
さて、麋竺の能力評価じゃ。ワシの能力評価を見て、何か気が付くことはあるかのう?
何でしょう?軍事と政治が高くて残りが低いと言うのは特徴的とは思いますが。
そうじゃな、ヒントは劉備との相性じゃ。劉備と並べて見比べてみると良いぞい。
えーと、あ、なるほど、劉備は軍事と政治が少し低かったですね。それを麋竺は補える能力になっている、と言うことですね。
うむ、単純な能力だけなら、麋竺は諸葛亮や龐統、関羽、張飛ら名だたる武人文人には到底及ばん。じゃが何とかして麋竺なりの色が出せんかなと思った時、気が付いたんじゃ。この麋竺の能力は劉備の補佐役として相性ばっちりじゃなかろうかと(たまたまじゃがなw)。
何だ、やっぱり偶然だったんですね、ちょっとすごいかも、と思った自分がバカみたいじゃないですかw
ぐぬぬ、相変わらず余計なところで人の心を読みおって、じゃがまあなんとのうこの相性の良さが麋竺をして諸葛亮より席次を上にした、と考えれば納得はいかんかのw
また随分強引にまとめましたねwまあ師匠がそれで満足なら私は別に良いですよ。さて、今回で陶謙陣営の人物紹介は終わりです。次は陶謙陣営のまとめです。良ければ次もご覧ください。それと他に興味ある方がいらっしゃったら、以下の索引をご覧くださいね。