さて、今回紹介する人物は郭大賢じゃな。大賢と言うのはイメージとして頭の良い賢者のイメージがあるがどうじゃろうかのう。
どうも、くまの爺じゃよ。久しぶりじゃな。さて、今回紹介する人物は郭大賢じゃな。
どうも、張郃だ。休みはどうであったか。しかしこの季節、こちらは暑いのだな。
当時は全体的に寒冷化だったそうですから、今の日本の暑さは辛そうですね。郭大賢さんは、何となくですが黄巾賊の一味ですか?
そうじゃな、今回も黄巾残党じゃな。まあ黄巾勢力は今回で最後じゃろう。
こいつは字が本人の才能を示している、と言う感じなのか。
そうじゃな、それでは紹介するとしようかの。
よろしくお願いします。
人物紹介
さて、郭大賢についても他の黄巾武将同様、記述はわずかじゃな。
魏志『張燕伝』の注釈、『九州春秋』に、184年に張角が反乱を起こした時に、共に兵を挙げた人物の紹介があり、その後、張璠の『漢紀』によると、郭大賢、左校、左髭丈八の三つの徒党があったと言うんじゃ。張燕等とは別の勢力と言うことじゃな。
また『典略』で、彼らは勝手に字をつけていたのは以前話していた通りじゃが、郭大賢に関しては恐らく賢人であった、と言う辺りから来てそうじゃな。
文字通りの付け方であろうな。とは言え実戦でどこまでできたのかは未知数であるがな。
知恵に優れていたとしても、軍指揮ができねば意味がないからのう。
さて、192年に袁紹が公孫瓚との戦いに勝利した後、黒山賊が鄴城を攻め落とし、袁紹はピンチに陥るんじゃ。じゃが黒山賊も一枚岩ではなく、離反者をだし、彼らの助力を得て黒山賊をも打ち破るんじゃな。その時に破られた黒山賊の頭目の一人に郭大賢もいたんじゃよ。
この時は彼等首領が立てこもる各々の砦を、一つ一つすべて叩き潰したのだ。その時敗れた相手の中に含まれていた一人が郭大賢だな。
さて、袁紹に敗れてから郭大賢の記述は途絶えてしまうんじゃ。彼の出番についてはここで終わりじゃな。続けて能力評価と行くぞい。今回は・・・お、天舞さんに出ておるようじゃな。
能力評価
郭大賢は史書の記述内容としては袁紹に敗れた、と言うこと以外に目立つ実績もないので、全体的に抑え目の評価なんじゃ。一応字から知謀は少し高めの評価としたんじゃよ。
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雑談ぢゃ
さて、郭大賢の能力評価じゃな。
ふむ、これは天舞三国志と似た傾向の評価と言えるのだな。
知謀が一番高く、統率がその次と政治と軍事が少し天舞さんとは違ってしまったかのう。
同じ郭姓で頭の良い人物と言うと郭嘉を思い出しますね。
さすがに同族と言うことはないじゃろうがの。そう言えば魏には郭淮と言う名将もおるが、彼は幷州出身じゃから、彼の方が出身地で言えば近そうじゃのう。
郭淮殿か、彼とは何度も共に死線を潜った仲間だな。彼の評価も早く見たいところだな。
演義では諸葛亮にやられるだけの存在ですが、実際はそうではない、と言うことですね。
そうじゃな。さて、実は今回も天舞さんの評価は参考にさせてもらっておるんじゃよ。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとしよう。次もよろしく頼むぞ。
張郃さん、お疲れ様です。次もよろしくお願いしますね。それと他の人物を見たいときは以下の人名索引を参照してくださいね。