三国志に釣られクマー

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三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

胡母班(こぼはん) 字:季皮(?~?)

さて、今回紹介する人物は胡母斑じゃな。字は季皮、生没年は不明じゃ。実は悲劇の人物でもあり、ちょっと不思議な経験をしておる人物でもあるんじゃよ。

 

さて、今回紹介するのは胡母斑じゃな。自身の親族に獄に繋がれ、殺害されてしまう、悲劇の人なんじゃ。

どうも、張郃だ。胡母斑殿か、彼も名を成した人物であるが、最後はなかなか悲惨であったのう。 

親族に捕らわれる、と言うのはなかなか剣呑な話ですね、一体何があったのでしょうか。

それでは早速胡母斑の人物について見ていくとしようかの。

よろしくお願いします。

人物紹介

若き日の胡母斑

さて、胡母斑の名前は『袁紹伝』の注釈の『漢末名士録』に出てくるんじゃ。

字は季皮と言い、太山郡の出身であるんじゃ。若い時に山陽の度尚、東平の張邈等と八人並んで財産に執着せず、仁義を志向して、人々を救済したため、世の人は彼らを「八厨」と呼んだんじゃ。

「八厨」は名士の序列を示すようなものだな。「八厨」の上には「八及」があり、劉表はそこに名が載っておる。その上に更に「八顧」「八俊」とあり、それぞれの代表に郭泰、李膺が名を連ねている。 

時代を代表する名士の一人であった、と言うことかのう。

董卓の遣いとして

さて名声のあった胡母斑であるが、反董卓連合軍の一員であった王匡の妹婿であったんじゃ。そこで董卓は彼を呉脩と共に河内に詔書を持って赴かせ、反乱軍を解散させるように命じたんじゃ。

じゃが袁紹はこれを拒絶し、王匡に彼らを殺害するように命じるんじゃ。

王匡は袁紹の命令を受けると胡母斑を捕えて投獄し、彼を殺害して血祭りに挙げようとしたんじゃ。

妹婿であってもこんなことをせねばならない、嫌な時代じゃな。

王匡に宛てた書簡

そんな王匡に胡母斑は所感を与えるんじゃ。なかなかの名文じゃと思うが如何かのう。

「古よりいまだかつて、地方の諸侯で挙兵して都に攻め上った者はございません。『漢書』の劉向伝に『鼠に者を投げつける場合、側にある器物の破損を恐れる。』とあります。

器物ですらその破損を恐れるのです。まして董卓は現在宮殿の中にいて天子をついたてとし(かげにかくれ)ておるのです。

幼い帝は宮中においでになるのに、どうして討伐して良いのですか。

私は太傅の馬公(馬日磾)、太僕の趙岐、小府の陰脩と共に勅命をお受けしています。関東の諸郡も実際は董卓を憎んではいるものの、なお天子のご命令をかしこみ、(私に)恥辱を与えるのを控えています。

しかるに足下だけは私を投獄し、私を殺害して軍鼓に血を塗り、戦の犠牲としてささげるおつもりですが、それこそハイ逆無道の最たるものであります。

私と董卓は親戚でもなんでもありませんし、道理から言ってどうして悪事に加担しましょう。ところが足下は虎か狼のごとく残忍な口を広げ、長蛇の如く毒を吐き出して、董卓に対する怒りを私に転嫁しているのです。何たる酷い残酷さでしょうか。

しかし狂人に殺害されるのは恥辱です。

もし死者に霊魂があるものなら、足下を上帝に訴えるでありましょう。そもそも婚姻は災難と幸福のきっかけだと言うことが、(義兄であるあなたによって殺される)今はっきりしました。以前は一心同体でありましたが、現在は不倶戴天の仇敵となってしまいました。

死者(私)の子二人、つまりあなたの甥には、私が死んだあと、心して私の屍を見せないように。」

胡母斑の不思議な体験

上の書簡を読んで、さすがの王匡も心に迫るものがあったのか、胡母斑の二人の子供を抱いて泣いた、とあるんじゃ。じゃが結局胡母斑は救われることもなく、獄中で亡くなるんじゃな。

さて、そんな胡母斑じゃが、かつて不思議な体験をしたようなんじゃ。

『捜神記』によると、かつて胡母斑は太山府君(冥界の王)と河伯黄河の神)に出会ったことがあるそうなんじゃ。

詳細は書いておらんので不明じゃが、『捜神記』は世の不思議な出来事をまとめた書物なんじゃ。一度ならず二度までも異界の者と接すると言うのは珍しいのう。

そう考えると上の書簡の中にある

「もし死者に霊魂があるものなら、足下を上帝に訴えるでありましょう。」

もまた少し違った意味を含んでいるように見えてくるのう。

さて、これにて胡母斑の人物紹介は終わりじゃな。続けて能力評価に行くぞい。今回はワシのみじゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 胡母斑(20歳)  65 80 50 75
 ↓ ↓ ↓  ↓↓ ↓↓
 胡母斑(45歳)  95 112 79 106

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胡母斑は高い名声を持ち、名士としては張邈と同列、劉表らに準じていたことから、基本的な評価を少し高めとしたんじゃよ。

特に財産に執着せず、世の人々を救済していたことなどから統率(魅力)を高い評価とし、また王匡に与えた名文からも深い教養の持ち主と判断し、政治も高めとしたんじゃ。総合的には張邈と並ぶぐらいの評価じゃのう。

 

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雑談ぢゃ

さて、胡母斑の能力評価じゃな。

平均的に高めの評価だな。それにしても義兄に殺害されるとは何とも不幸なことだ。  

お互いに不幸ですよね、と言うか袁紹さんって結構容赦ないですね。

まあその辺りは、既に過去色々書いておるからのう。 

まあ、それぐらい非情にならねば乱世は乗り切れない部分もある、がさすがに後味は悪いな。 

実際王匡はこの後胡母斑の親族の願いを受けて曹操に討たれるんじゃ。曹操は結構義理堅いところがあるのう。さて、これにて胡母斑の紹介は終わりじゃ。面白かったと思えば、次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。