さて、新年一発目の人物じゃが、張英の紹介じゃな。字や生没年は不明。彼もまた演義では、孫策にこてんこてんにやられる明けの存在じゃが、正史ではまた少々違うようじゃな。
あけましておめでとうございます。さて、今回は張英の紹介じゃな。
どうも、張郃だ。この時期が新年の切り替わり時期なのだな。俺の時代とは少し時期が違う感じがするな。張英については劉繇の下で頑張っておった人物だな。
あけましておめでとうございます。彼も于糜と同様に演義だと良いところなく孫策にやられてた人物ですよね。
正史はこれまた于糜と同様に違う訳ですよね。
うむ、それでは見ていくとしようかのう。
人物紹介
さて張英もまた陳温の配下としておるが、元々は陳温の後の劉繇の代に名前が出てくるんじゃよ。于糜の方でも書いたが、地元の有力武将と言う感じで、陳温の配下としてもここに入れておったんじゃ。
さて『孫策伝』を見ると、劉繇が揚州刺史として赴任するが、州本拠の寿春は袁術が押さえておったことから、曲阿に役所を定めるんじゃ。
そして当時袁術派であった呉景(孫策の母親の兄弟、叔父)と、孫策の従兄の孫賁が共に丹楊にいたことから、圧力を加え、彼らを丹楊から追い出したんじゃよ。
二人は劉繇を避けて、歴陽に身を落ち着けるんじゃ。歴陽は長江沿いの地点じゃな。元々丹楊は長江を渡って曲阿よりも南西方面に位置しておったんじゃが、劉繇はこれを追い出し、長江対岸の歴陽にまで押し返したんじゃよ。
その後、劉繇は于糜と樊能を歴陽の近くの横江津に駐屯させ、張英は当利口に駐屯して、袁術の勢力拡大を防いだんじゃよ。
しかし袁術がそんなことを許すはずはなく、呉景らに協力して、劉繇を攻めさせようとするんじゃ。しかし、于糜等は堅く守り、幾年経っても呉景らは打ち破ることができんかったんじゃよ。
于糜の方が二人の武将で守っておったのに対し、張英は一人で当利口を守っておった訳だな。
さて、于糜等と共に袁術勢力の攻勢を防いでおった張英じゃが、ついにあの人物がやってくるんじゃ。そう、孫策じゃな。
『江表伝』によると、孫策は歴陽と横江津の対岸の牛渚の軍営に攻め込み、これらを大破して、兵糧と武器を全部奪ったんじゃよ。
于糜と違いここでの敗戦から張英の記録は途絶えてしまうのだな。
そう言うことじゃな。彼はこの時に敗死してしまったのかもしれんのう。
さて、張英の人物紹介はここまでじゃな。続けて能力評価と行こうかの。今回は鄭問さん以外に出ておるようじゃな。
能力評価
張英は当利口で呉景や孫賁の攻撃を防いでおったことを評価して軍事と統率どちらも高めの評価としたんじゃよ。じゃが、牛渚の奪還作戦には参加しておらんことから知謀などは抑えめじゃな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
さて、張英の能力評価じゃな。
天舞が案外低めの評価になるのだな。
孫一族の武将が全て優秀と言う訳ではありませんが、孫賁らを食い止めた能力を師匠は評価していると言うことですか。
そうじゃな、まあ孫策には大敗しておるからな、この辺りは評価が難しいところじゃな。
ただまあ于糜が牛渚を奪還しているように、孫策とて完全ではなく、案外付け入る部分はある、と言うことだからな。
うむ、張英は牛渚攻めには参加しておらんが于糜等と同等クラスの能力がある、と評価した結果が今回の能力に反映させた恰好じゃな。さて、今回はここまでじゃが、張英の人物について如何じゃったかな。良ければ次もまたご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るか、次もよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もよろしくお願いします。他の人物に興味ある方は、下の索引からご覧くださいね。