さて、今回は夏侯和の紹介じゃな。夏侯淵の七男であり、夏侯威や夏侯恵らの弟に当たる人物じゃな。彼も記述は少ないものの、おっ、と思うような逸話があるんじゃよ。
さて、今回は夏侯和の紹介じゃな。夏侯淵の優秀な息子たちの一人じゃな。
どうも張郃だ。彼も兄たち同様に優秀で、河南尹(洛陽を中心とする地域の長官職)となっているからな。現在の日本で言うなら東京都知事のような立場だな。
中央の行政を任されていると言うのは確かに大きな実績ですね。
まあ逸話の方は多分あれの話だろうが、彼の場合、単なる行政長官だけでない、面白い話があるからな。
うむ、能力評価の方でその辺りについてっ見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
今までの話から、上の能力で夏侯和の軍事がやや高めなのを見て、おやっと思った方もいるかもしれんが、これは魏志『陳留王紀』に一つのエピソードがあったからなんじゃ。時はちょうど鍾会と鄧艾によって蜀が滅亡した時期であり、この時、夏侯和は相国左司馬となっておったんじゃ。この時の顛末が詔勅として残っているので、載せておくぞい。
「先には逆臣鍾会が反乱を計画し、遠征中の将兵を集め、武力によって威嚇し、初めて悪だくみを口にした。突然の事態とて、誰も彼も驚愕し、恐怖に打ち震えたことであった。
相国左司馬の夏侯和と騎士曹属の朱撫はこの時、使者として成都に滞在しており、中領軍司馬の賈輔と郎中の羊琇はそれぞれ鍾会の軍務に参与していたが、夏侯和、羊琇、朱撫は皆節義を高く掲げてくじけることなく、鍾会の凶悪な発言を拒否し、危険を前にして一身を顧みず、正義の言葉は激烈を極めた。
~以下略」
とあり、彼らの尽力もあって、鍾会の反乱は失敗に終わるんじゃよ。
文官としてだけでなく、司馬としてこの時の事態に対応し手柄を挙げている、剛直な人物であったことも加味して、軍事の高さとして反映させた訳だな。ちなみに羊琇は晋の時代の名将、羊祜の従弟に当たる人物だな。
羊琇もかなり優秀だったようですね。ただ、今回の夏侯和については、成都での具体的な行動内容までは見えてこないことからこの値に留まった、と言うことですかね。
知謀・政治
上の逸話以外に夏侯和の記録は少ないんじゃが、魏志『夏侯淵伝』の裴松之注『世語』によると夏侯和は弁舌さわやかで、才気に満ちた議論をした、とあり、しかも河南尹や太常などを歴任した、とあるんじゃよ。
頭もよく、行政官としても有能であることをうかがわせる書き方であることから、知謀、政治も高めの評価になった、と言うことですね。
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簡単解説
出演している他の二作品でも政治が高めの評価となっており、さすがに軍事面はそこまででもありませんね。
それは成都での反乱をどうとらえるかで変わってくるのであろう。
師匠の場合はちょっと変わった逸話があると、それなりに評価を盛ろうとする傾向があ地ますよね。
そうすることで名前だけ残っているような人物達との差別化を図っている、と言うことだろう。まあ今回の軍事の評価はちょっと無理やりな気もするがな。
差別化は張郃殿の言う通りで、名前ぐらいしか記録に残っていない人物が続くと、ついちょっとでも逸話があると、甘い評価をしたくなるんじゃな。さて、そんなところで夏侯和の紹介は終わりじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。