さて、今回は夏侯覇の紹介じゃな。魏志『夏侯淵伝』に多くの情報が載っておる、夏侯淵の次男に当たる人物じゃな。演義でも出番のある知名度の高い人物じゃよ。
さて、今回は夏侯覇の紹介じゃな。曹操たちの息子世代での有力武将の一人じゃな。彼も数奇な運命をたどった人物と言えよう。
どうも張郃だ。彼も運命のいたずらか、父の仇である蜀に身を託すことになろうとはな。
そう言えば夏侯淵は漢中攻防戦で戦死したんですね。
そうだ、元々夏侯覇はこのことから蜀に対して敵意を抱いていたのだが、曹爽と司馬懿の政争に巻き込まれる形で、やむなく蜀に逃げ込んだのだ。
当時の上司である郭淮と折り合いが悪かったのも運が悪かったのう。さて、まずは能力評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率
魏志『夏侯淵伝』の裴松之注『魏略』によると、子午の戦役(曹真の蜀征伐)の際、夏侯覇は先鋒となり、進撃して興勢を包囲し、峡谷の中に陣営を置いたんじゃよ。蜀軍は望見して、それが夏侯覇の陣営だと悟ると、この陣営目指して軍隊を馳せ下らせ攻撃をかけたんじゃよ。
じゃが夏侯覇は自らさかもぎの間で奮戦しているうちに救援が到着し、危機を脱したんじゃよ。
また、彼は右将軍となり隴西に駐屯していたが、兵士をかわいがり、異民族を手なずけ、どちらの評判も高かった、とあるんじゃよ。
蜀との戦いで活躍し、また兵士や異民族達に人気があったことから、軍事と統率は高め、と言うことだな。
知謀・政治
知謀と政治に関しては、特に目立つ記録が残っていないんじゃよ。それ故こちらは平均的な評価に落ち着いた感じじゃな。
そう言えば演義では確か鍾会を蜀の脅威になる、と話をして人物眼の高さを示していましたが、あれは演義のみのお話なのでしょうか?
いや、正史にも記録は残っているが、裴松之注の方だからな。恐らく主の師匠には思惑があると見た。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
鍾会に関する記述は正史ではどうなっているのでしょうか。
これは魏志『鍾会伝』の裴松之注『世語』と『漢晋春秋』に鍾会が要注意人物である、と夏侯覇が話しているのだ。
二つの歴史書で書かれていると言うことは、それなりに信憑性があるのではありませんか?
いや、裴松之の坊やは他に同様の記録はなく、『漢晋春秋』は『世語』の記述を採択したのだろう、と言っているから信憑性は微妙だな。それに『世語』は歴史書と言うよりも小説の範疇であると、隋唐の頃に言われているからな。
張郃殿の言う通りじゃな。これは恐らく後に起こった出来事(鍾会による蜀討伐)から、夏侯覇に蜀に対する脅威として紹介のことを語らせただけじゃと思うんじゃ。まあそう言うのを抜きにしても、夏侯覇は十分優秀な武将じゃと思うしのう。
さて、そんなところで今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。