さて、今回は夏侯荘の紹介じゃな。彼もまた夏侯淵の孫であり夏侯威の子の一人じゃな。兄が夏侯駿になる訳じゃ。
さて、今回は夏侯荘の紹介じゃな。夏侯淵の孫に当たる人物じゃな。
彼は晋の景陽皇后の姉の夫に当たる人物なのだ。それ故当時かなり、はぶりを聞かせていた、とのことだ。この景陽皇后にも少し面白い逸話があるのだよ。
景陽皇后・・・全然知らないのですが近親に有名な方がいるのでしょうか。
彼女は羊徽瑜と言い、晋の名将羊祜の姉に当たる人物だ。そして彼らの祖父が以前紹介したこともある、後漢の有名な学者「蔡邕」な訳だな。
景陽皇后は非常に聡明な人物であったようじゃな。そして恐らく姉に当たる人物もそうであり、それがために夏侯荘の一族は繁栄していた、と言うことじゃな。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
魏志『夏侯淵伝』の裴松之注『世語』によると、彼は淮南太守になった、とあり、また一門がはぶりをきかせていたこと、また彼の息子の夏侯湛は多才で文学に優れていた、と言うことから、父である夏侯荘にも一定以上の才覚はあったと判断したんじゃよ。
なるほど、それで知謀と政治が共にそれなりに高い訳ですね。
そうだな、もう少し記録があればもう少し評価は伸びたかもしれないな。
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簡単解説
記録がないためか、他の作品には出ていないのですね。
お主の師匠は隙間産業のように、人物評価をやっていっていると言うことだな。
まあ、師匠のようにやってくれる人も大事だと思いますよ。
そうだな、有名な武将だけで時代を築いているわけではない。いろいろな人物が折り重なって一時代を築いているわけだから、お主の師匠がやっていることは大事なことだと思うぞ。
そう言ってくれると、今後もやる気が上がると言うもんじゃのう。さて、夏侯荘に関してはこれでおしまいじゃな。良ければ次もご覧くだされ。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。