さて、今回は魏のラストエンペラーである曹奐の紹介じゃな。曹操の孫・曹宇の子にして魏の五代皇帝、最後は晋に皇位を譲った彼について見ていくとしようかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹奐の紹介じゃな。魏の五代皇帝にじゃな。
どうも張郃だ。あれだけ栄えていた魏国がわずか五代で幕を閉じることになるとはな。
張郃さんにとってもこの事態は意外だったと言うことですか。
文帝が早くに亡くなったのは予想外だったが、ある程度地盤も固まっておったし、明帝も英邁な君主であったからな。二人とも若くして亡くなったのが残念だ。
曹奐も父曹宇との逸話を見るに十分優れた人物のように思えるんじゃが如何かのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・知謀
軍事に関しては特筆すべきことはないんじゃが、知謀に関しては上の曹宇の紹介の所で、父である曹宇が自らを「臣」と称したことに疑問を感じ、妥当な呼称か臣下に検討させているんじゃ。
元々学問や文学に優れた人物を多数輩出しているだけあって、曹奐も頭の良さをうかがわせていると言うことですね。
統率・政治
魏志『陳留王紀』にはいくつかの大きな詔勅が下されているんじゃよ。
一 征西将軍鄧艾、雍州刺史諸葛緒、鎮西将軍鍾会に蜀征伐の命令(二六三年)
一 屯田の官を廃止して、賦税・役務を均一化(一本化)、各郡に置かれている典農官(典農中郎将)は全て郡の太守に、県に置かれている(典農)都尉は全て県令(県長)とした(二六四年)
一 百官に詔勅を下し、使者を遣わして帝位を晋の嗣王(司馬炎)に譲った(二六五年)
皇帝になってわずか5年の間、傀儡とは言えこれだけのことをやり遂げ、大過なく帝位の禅譲まで行えたのは、曹奐自身に冷静な判断力あったればこそじゃろう。
しかも265年の時点でまだ20歳だからな。まだ若いのにこれだけの辛酸を、と思うともう少し自身が魏で踏ん張っていたかったな。
イヤでもさすがに265年ですと張郃さん100歳超えちゃってますよ。さすがに厳しいかと。
まあ、気持ちだけだがな。それにしても政治が高いのはこの一連の流れを恙なく執り行っているからか。
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簡単解説
どの作品でも統率(魅力)が高いですね。
政治が高いのはお主の師匠ぐらいか。まあ詔勅の数々も傀儡としての物であろうから、本来はお主の師匠の方が高すぎるのだろう。
ただ、劉禅にしてもそうですが、一つ判断を間違えば族滅の危機もある訳ですから、難しい判断を乗り越えたのは評価してあげても良いと思うんです。
ほう、ここで師匠の肩を持つとは、なかなかお主も師匠に中てられているようだな。だが、そうだな、若干20歳の人間の肩にかかった重しと考えると、安易に低い評価にするのは、どうかとも思うな。どれだけの人間がそこから逃げずに向き合えるのだ。
ワシにはとても無理な話じゃな。さて、ここで終わりと行きたいところじゃが、曹奐についてもう少しだけ掘り下げていきたい部分があるので、その辺りだけ見ていくとしようかのう。
と言ったところで今回はここまでじゃな。次も曹奐についてもう少し続くんじゃが、良ければまた御覧くだされい。
よし、それでは今日のところは帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。