さて、今回は魏の大物明帝曹叡の紹介じゃな。曹操の孫にして魏の三代皇帝、優れた判断力と決断力により呉蜀の北伐を防いだ名君と呼べる人物であろう。
さて、今回は曹叡の紹介じゃな。魏の三代皇帝サマじゃな。
どうも張郃だ。明帝は優れた才知を持ち、度量もあって決断力も持ち合わせた、次代を担う英傑と呼ぶにふさわしい人物と言えるだろう。
張郃さんべた褒めですね、それだけ器量に優れた人物だったのですね。
そうだな、本来彼が長期間統治できていれば、司馬一族の台頭はなかったのかもしれない。惜しい話だ。
曹叡は少し時間をかけてみていくことになりそうじゃのう。まずは能力からみていこうかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事
軍事に関しては特筆すべき記述は特にみられないことから平均的な評価じゃな。
さすがに皇帝自ら剣を振う事態に陥るようでは逆に怖い状態ですものね。それだけ魏が安定していた、と言うことですね。
統率・知謀
魏志『明帝紀』の裴松之注『魏書』によると、諸葛亮が北伐してきた時、明帝は言ったんじゃよ。
「諸葛亮は山を頼りとして守りを固めていたのに、今自分の方から出撃してきたのだから、それでもう兵書で言う『人を招く術』に合致している。その上諸葛亮は三郡を貪り、前進することは知っているが引き退くことは知らない。今この機会を利用するならば、諸葛亮を撃破すること間違いない。」
そして明帝自身長安に赴き、軍紀を引き締め、張郃殿を派遣して蜀軍を打ち破ることに成功するんじゃよ。
また、234年に諸葛亮が北伐してきた時、呉もまた侵攻してきたんじゃ。当時こちら方面を担っていた満寵は新城の守備を撤去して呉軍を寿春にまで招き寄せようと願ったんじゃが、明帝はこれを拒否し
「~前略~
たとえ孫権が新城を攻撃したとて、決して陥落させることはできない。諸将に命じて守備を固めさせよ。私が自ら出かけて行ってこれを征伐する。到着する頃には、多分孫権は逃走しているであろう。」
と言って、実際明帝は東征に赴くんじゃ。孫権は新城を攻撃するも落とせず、明帝の東征を聞くとまだ数百里の彼方にあった時点で逃走してしまったんじゃよ。
更に諸葛亮と対峙している司馬懿のために長安へ行幸なさるべき、と言う意見に対して明帝は
「孫権が逃走したため、諸葛亮は肝をつぶしており、大将軍が彼を制圧している。私は心配する必要はない。」
と言うんじゃよ。
当たり前のように自ら大軍を率い、しかも迷いのない判断で行動も迅速。ほぼ天才の血のなせる業と言えるであろう。
政治
政治に関しても犯罪に関してはきちんと審議を行い、少しでも公正な裁判を行うようにと詔勅を下して、処刑の人数を少しでも減らすように尽力したり、大きな裁判がある時は常に行幸臨席して、取り調べた、とあるんじゃよ。
政治面でも優れた業績を残しているように思うのですが、少し低くないですか?
それはある事績が関係しているのであろうが、恐らくは別に語るつもりであろうな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
どの作品でも統率(魅力)が非常に高いですね。
知謀と政治もそれなりに高いのはお主の師匠と共通だな、だがどの作品も存外政治が高いのだな。
そう言われると、師匠だけ知謀の方が高くて政治が少し抑えめですね。
まあ政治には少し議論の余地はあるから、それは次の所で語るのであろう?
そうじゃな、ちゃんと曹叡に関しては見ていく必要があると思うからのう、まだあと数回、明帝については見ていくとしようかのう。
と言ったところで今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。