さて、今回は第二世代を代表する武将曹休の紹介じゃな。演義では単に語の罠にはまって大敗した武将、と言う印象が強いが、つぶさに履歴を見ていくと、どうしてなかなかの人物だったりするんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹休の紹介じゃな。夏侯惇や曹仁らの次の時代を担った重要な武将の一人じゃ。
どうも張郃だ。第二世代と言うと既に夏侯尚殿が出ているが、今回紹介する曹休殿と曹真殿が三巨頭と言った感じで魏を支えていたな。
演義だとやはりやられ役でしかないのですが、現実はまた違うと言うことですね。
もちろんそうだ、能力の何もない人物に対して、曹丞相が「我が家の千里の駒」とは言わない。言うからには論拠が間違いなくある。
張郃殿の言う通りじゃな。評価の難しい人物ではあるが、曹休について詳細を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・知謀
軍事に関してはまた別に記載していこうと思うんじゃが、魏志『曹休伝』を見ると、ほぼ勝ちっぱなしなんじゃな。それこそ最後228年、呉の策略にはまって「石亭の戦い」で敗北するまでは、ほぼ呉に負けておらんのじゃよ。于禁や関羽と同様、最後に敗北を喫したからと言って安易に評価を下げるのは、ワシは違うと思うんじゃよ。
それまでの実績を考慮して軍事は高くしていると言うことですね。
更に魏志『曹休伝』は漢中における曹休の見事な判断を掲載しておるんじゃ。
この時、劉備はまず呉蘭を派遣して下弁に駐屯させ、更に張飛を派遣して固山へ駐屯させたんじゃ。この張飛は丁度曹洪・曹休らの後方遮断を狙えるところにおり、諸将は張飛を撃つか、呉蘭を攻めるかで迷っていたんじゃよ。
ここで発言したのが曹休じゃ。
「賊軍が本当に糧道を断とうとするのならば、軍兵を潜ませつつ隠密に行動するはずです。ところが今は声を張り上げ、気勢を示しております。
これでは(警戒されて)出来っこありません。敵の態勢がまだ定まらない内に呉蘭を急襲すべきであります。
と進言し、彼の言ったとおりに͡͡コトは運ぶんじゃな。
さすがに曹丞相が「こやつはわしの家の千里の駒じゃ。」と言うだけのことはある。状況判断力、行動力共に申し分ない。
統率・政治
そんな曹休じゃが、彼は賈逵と言う武将と折り合いが悪く、文帝の時代に、文帝が賈逵に節を与えようと考えた時に
「賈逵は剛毅な性格で、平素将軍たちを侮り軽んじています。都督としてはいけません。」と横やりを入れて、賈逵の昇進を阻むなど、少し狭量な面を見せているんじゃな。
また、「石亭の戦い」でも敗北の危機に瀕していた曹休を救ったのは賈逵だったんじゃが、それに対しても救援が遅かった、と上奏するなど、賈逵に対しては極端に辛らつになっているんじゃよ。
能力は高いのでしょうが、この辺りの話を見ているとちょっと関羽を思い浮かべますね。
ほう、関羽と近しいものを感じたか。確かに関羽も個人の高い評価とは別に対人関係の問題から最後は敗北しておるが・・・確かに軍事と知謀が高く、統率が少し抑え目なのはよく似ているな。
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簡単解説
結構評価が分かれていますが、鄭問三国志が一番評価高いんじゃないでしょうか。
統率が一番高いと言う、お主の師匠とは方向性が違う感じだがな。
ただ、対人関係の問題とかを考えると、本来は関羽同様上に置かない方が良い人物なのかな、とは思います。
なるほど、師匠の方に妥当性を感じている、と言うことか?
まだ戦績などの詳細を見ていませんから、何とも言えない部分がありますけどね。その辺りは次紹介してくれるんですよね。
うむ、戦績と具体的な戦い、そしてなぜ最後敗れることとなったのか。その辺りについて見ていくとしようかのう。
さて、それでは今回はここまでじゃな。良ければ次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。