三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹焜(そうこん) 字:不明(?~?)

さて、今回はもう一人の曹賛の紹介をしようと思ったんじゃが、曹焜の紹介を忘れておったようなので、急遽曹焜の紹介じゃな。それと昨日の曹賛紹介、冒頭の文章が間違えておったようじゃ。重ね重ね申し訳ないのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹賛・・・ではなく、曹焜の紹介じゃな、申し訳ない。彼は曹操のひ孫、曹敏の子に当たる人物じゃな。

曹焜殿の紹介を忘れるとはヤキが回ったな。

師匠ももうお年ですからね。この人物紹介が終わるまで、何とか寿命を持ち堪えさせてくださいね。

何とも辛らつな話じゃのう。まあ良い、ワシもまだまだ天に召される気はないからの。それでは早速曹焜について見ていくとしよう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹焜(20歳)  25 45 30 50
 ↓ ↓ ↓ 
 曹焜(45歳)  51 73 57 79

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志『范陽閔王矩伝』を見ていくと、次のように書かれているんじゃ。

建安二十二年(217年)、樊の安公曹均の子の曹敏に曹矩の後を継がせ、臨晋侯に取り立てた。

太和六年(232年)、曹矩の爵号を遡って昇進させ、范陽の閔王とし、改めて曹敏を瑯邪王に任じた。

曹敏は逝去すると、原王の諡号を送られ、子の曹焜が後を継いだ。

ぱっと見、そこそこ記述があるかと思いきや、ほとんどが父の曹敏の話で、曹焜は最後にちょっとだけ出てくるのみなんですね。 

まあ、それ故評価も抑え気味、と言うことなのだろう。 

 

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簡単解説

それにしても、曹操のひ孫と言うことはいつ頃の生まれなんでしょうね。

子や孫がいつ頃の年代生まれ化でだいぶ変わるからな・・・明帝の生まれ年を考慮すると、孫世代は210年以降・・・ひ孫世代は230年~250年の間ぐらいといったところか。

晋の時代に足を突っ込んでいる人物もいる感じじゃな。さて、曹焜の紹介はここまでじゃな。良ければ次もご覧くだされ。

よし、今日のところは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。