三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹賛(そうさん)1 字:不明(?~?)

さて、今回は曹賛の紹介じゃな。彼は曹操の孫、曹林の子であり、曹玹の後を継いだ人物じゃな。彼の逸話は少ないようじゃが、どんなものか、見ていくとしようかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹賛の紹介じゃな。曹操の孫、曹林の子に当たる人物じゃな。

曹玹殿の後を継いだ人物だな。若くして亡くなったので、実弟の曹壱殿が後を継いだ。

 

 

曹壱いましたね、もう随分前の話であったような気がしますね。

実際、曹壱の紹介はもう2ヶ月以上前の話じゃからな。曹一族多過ぎ問題じゃな。それでは早速見ていくとしよう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹賛(20歳)  25 30 50 35
 ↓ ↓ ↓ 
 曹賛(45歳)  51 57 79 62

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志『斉陽懐王玹伝』を見ていくと、次のように書かれているんじゃ。

斉陽の懐王曹玹は、建安十六年(211年)、西郷侯に取り立てられた。早死にして、子がなかった。

二十年(215年)、沛王曹林の子の曹賛に曹玹の爵位と領国を継がせたが、早死にし、子がなかった。

これだけじゃな、後は曹賛の弟の曹壱が後を継いだ、とあるのみじゃな。

記録がほとんどないんですね。知謀が少し高いのはどうしてでしょうか。 

曹林が曹袞と兄弟、と言うのが少し関係していそうだな。頭脳明晰な曹袞を参考に少し知謀を高くした、と言ったところか。 

 

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簡単解説

この辺りのマイナー武将は皆他の作品には出てこないですね。

曹賛殿も逸話が何もないから仕方あるまい。

こういう人物は毎度どう評価したものか。毎度頭を悩ませるのう。さて曹賛については以上じゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは今日のところは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。