三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹鑠(そうしゃく) 字:不明(?~?)

さて、今回は曹鑠の紹介じゃな。彼は先日紹介した曹昂と母を同じくする人物なんじゃ。とは言え曹昂のことは知っていても、曹鑠のことは知らない人物が多いのではなかろうか。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹鑠の紹介じゃな。彼は曹操の息子であり、曹昂と母が同じで弟に当たる人物じゃな。

丞相の息子だから、全員兄弟と言えば兄弟だがな、まあ夫人が多いから分けないと人間関係が分からんからな。

それにしても曹昂に同母弟がいたとは思いませんでしたよ。

うむ、実を言うとワシもじゃ。いや、曹操の一族は多すぎて、ホント忘れている人物も多いんじゃよ(汗。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹鑠(20歳)  40 45 20 35
 ↓ ↓ ↓ 
 曹鑠(45歳)  68 73 46 62

 

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

魏志『相殤王鑠伝』を見ていくと、次のように書かれているんじゃ。

相の殤王曹鑠は早死にした。太和三年(229年)、領国と諡号を追贈された。

青龍元年(233年)子の愍王曹潜が後を継いだが、同年逝去した。

彼に関する記述はほぼこれだけじゃな。

ほとんど何も記録は残っていないのですね。 

「殤」は幼くして亡くなること、とのことだが、息子の曹潜殿がいることから、早熟であったのかもしれんな。 

 

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簡単解説

殤が幼くして亡くなることを指しているとすると、実際いくつぐらいで亡くなったのでしょうか。

恐らく十五に届かないぐらいのぎりぎりの年齢だったのではなかろうか。

恐らくそんなところじゃろうな。能力は曹昂をグレードダウンしたような感じじゃな。さて曹鑠については以上じゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは俺も帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。