さて、今回は曹闡の紹介じゃな。彼は彭城王曹據の子で、後に曹整の後を継ぐこととなるんじゃ。短いが彼について見ていくとしようかのう。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、今回は曹闡の紹介じゃな。彼は曹據の息子であり、後に曹整の後を継ぐんじゃよ。
曹據と言うと、あの曹沖や曹宇の兄弟だった人物ですよね。
曹沖殿ももう少しで出てくるが、どんな評価になるのか楽しみだ。
さて、それでは早速曹闡について見ていこうかのう。
能力評価
さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
曹闡については魏志『郿戴公子整伝』に載っているんじゃよ。
(郿の戴公子曹整が亡くなった後)、彭城王曹據の子の曹範に曹整の後を継がせた。
~中略~
(曹範が235年亡くなった後)、青龍四年(236年)、詔勅によって曹範の弟の東安郷公曹闡を郿侯とし、曹整の後を継がせた。正元・景元の間に何度も加増され、前と合わせて千八百戸となった。(『郿戴公子整伝』)
あら、お兄さんがいたのですね。
そうだ、ちょっと興味深いのは兄の後を継いだのではなく、あくまでも曹整殿の後を継いでいる点だな。これは恐らく曹範殿が若くして亡くなったため、きちんと祭祀を継いだとは見做されなかったため、ではないかな。
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簡単解説
能力的には実父の曹據に近い評価にしているのですね。
恐らく236年頃には成人しており、そこから魏末期ごろまで生存していたであろうことから、基礎評価も上げられているのであろうな。
こうなってくると、兄の曹範の評価をどうするか、非常に悩ましい部分ではあるがのう。さて、曹闡についてはここまでじゃな。次もまたよろしく頼むぞい。
よし、それでは今日は帰るとするか。
張郃さんお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。