さて、今回紹介するのは曹穆じゃな。聞き覚えのない名前だ、と思う人も多いかもしれんが、彼はもしかしたら魏の3代目皇帝になっていたかもしれん人物なんじゃよ。
案内人
くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。
弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。
張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。
四方山話
さて、ちょっとお休みしてて申し訳なかったのう。法事で数日間出かけておったんじゃよ。今回は曹穆の紹介じゃな。彼は魏の二代目皇帝曹叡の息子だったんじゃよ。
曹叡に息子がいたのですね、でも後を継いでいないと言うことは・・・。
察しが良いな、上の没年を見ても、曹叡よりも先に亡くなっていることから、若くして亡くなったことがわかるな。
そうじゃな、とりあえず、彼の記録を追いかけてみるとしようかのう。
能力評価
さて、それでは彼の時代の記録について見ていくとしようかのう。
軍事・統率・知謀・政治
太和二年(228年)秋九月乙酉の日(29日)、息子の曹穆を立てて繁陽王とした。
三年夏六月癸卯の日(21日)、繁陽王の曹穆が死去した。(『明帝紀』)
これは本当に記録がわずかなのですね。
能力が全体的に抑えめなのは若くして亡くなっているためであろうな。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
簡単解説
分かってはいたことですが、曹穆も他の作品には出ていないですね。
まあ、これだけ記録が残っていないならば仕方あるまい。評価も難しかったであろう。
まあ、それは父の評価を小粒にしていく感じで何とかなるもんじゃがな。さて短いが曹穆の紹介はここまでじゃな。
よし、それでは俺も帰るとするか。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。