三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

曹熊(そうゆう) 字:不明(?~?)

さて、今回紹介するのは曹熊の紹介じゃな。彼は曹丕曹彰曹植等と同じ卞氏の子に当たる人物なんじゃよ。とは言え上の三人ほど彼は目立たん存在じゃな。それは彼が早くに亡くなってしまったからかのう。

 

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は曹熊の紹介じゃな。彼の兄たちは伊豆tれも武勇や文学、政治で名を馳せた人物ばかり、期待度は非常に高いんじゃなかろうか。

でも彼は知名度は高くないですよね。早くに亡くなったからでしょうか。

いや、彼には兄たちと違い、ほとんど目立つ逸話が残っていない。そのことも影響しているであろう。 

そうじゃな、それが悪名であったとしても、尖った部分が多い方が記録としては残り易いからのう。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 曹熊(20歳)  45 35 65 55
 ↓ ↓ ↓ 
 曹熊(45歳)  73 62 95 84

 

さて、それでは彼の時代の記録について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

彼については魏志『蕭懐王熊伝』に記録が載っているんじゃよ。

蕭の懐王曹熊は早く亡くなった。黄初二年(221年)、諸侯に追封して蕭の懐公の諡号を送った。

太和三年(229年)、また爵位を追贈して王とした。青龍二年(234年)、子の哀王曹炳が後を継いだ。領邑は二千五百戸だった。六年(238年)、逝去した。

子がなく、領国は没収された。(『蕭懐王熊伝』)

記録はかなり少ないですが、221年にはもう亡くなっていたようですね。 

子がいることから、成年には達していたと思えるが、文帝が187年生まれ、と言うことは190年以降の生まれと言うことになるであろうから、20代のうちに亡くなってしまった、と言うことだろうな。 

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 曹熊  7 5 52 65 67

 

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簡単解説

師匠の方は親の曹操を数段階スケールダウンしたような評価ですね。

三国志14は軍事面が極端に低いな。まあ記録が残っていないから、これは判断が難しい所であろうな。

そうじゃな、父と同じ方向性の評価にするのは、ワシの癖じゃな。三国志14で評価した人物の基準も知りたいのう。さて、そんなところで短いが、曹熊の紹介は終わりじゃな。

よし、それでは俺も帰るとするか、次もよろしく頼む。  

張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。